33.JR総武本線船橋駅




JR船橋駅は島式2面4線の高架ホームを有する総武本線の駅である。
高架下に駅舎機能を集約し、総武緩行線のほか、総武快速線も停車する。
総武線は緩行線と快速線が分離され、使用される車両も違う。
1番線は総武緩行線西行中野、三鷹方面、2番線は総武緩行線東行千葉方面、
3番線は総武快速線上り東京方面、4番線は総武快速線下り千葉方面が使用する。
また朝晩の通勤時間帯には総武緩行線に東京メトロ東西線が乗り入れる。
高架下の1階に改札があり、北口、南口に出られる。
また高架下にある複合商業施設に直接出られる無人の改札口も設置されている。
JRの高架の北側に隣接して東武百貨店があり、その2階に東武野田線のホームがある。
しかし直接乗り換えることは出来ず、
一端改札を出て高架下の南北通路に出てからの乗り換えとなる。
京成船橋駅とも近接しているため、JRと京成との乗り換え駅としても機能している。
京成電鉄は嘗て相対式2面2線の地上絵ホームを有し、
上下線で改札が別となっていたため、上り線は踏切を渡らないと乗り換えられなかった。
しかし京成船橋近辺の連続立体交差工事が実施され、
2007年11月17日より京成船橋駅が高架化され、
またJRと京成の間を再開発して複合商業施設Faceが誕生し、
京成電鉄は直接2階から乗り換えられるようになった。
しかしJRの改札口は1階のため1回ロータリーに出て、
エスカレーターからペデストリアンデッキに登り降りしなければならない。
総武線は総武鉄道によって敷設された路線である。
総武鉄道は1887年に設立され、もともと競合していたした総州鉄道と武総鉄道が、
ともに免許申請却下になったため一緒になって作った会社である。
1894年7月20日に総武鉄道が市川から佐倉まで開通した時に同時に開業した。
総武鉄道は1907年9月1日に鉄道国有法により総武鉄道が国有化され、総武線となる。
1923年12月27日に東武野田線を開業させたのは北総鉄道で、
現在の東武野田線となる路線を船橋線の名称で開業させた。
この北総鉄道は現在の北総開発鉄道から改称した会社とは全くの別会社である。
1929年11月22日に北総鉄道は総武鉄道に改称したが、
戦時中の1944年3月1日、陸上交通事業調整法により、
東武鉄道に合併され、東武野田線となった。
船橋の地名の由来は日本武尊が東方征伐の途中、
夏見の日枝神社で雨乞いを行うが、
雨が降りすぎて陸に戻れなくなったことから、
地元の漁師が舟を並べて救ったという逸話から、
この地を“船橋”と呼ぶようになったという。
船橋駅南口の出入口脇には「船橋町鳥瞰図」の銅板レリーフが設置され、
そこには昭和初期の船橋駅や本町通りの商店、学校、寺社などが描かれている。
当時の船橋町は人口約二万人、町内を走る車はわずか29台でまだ埋め立てもなく、
漁師町、宿場町として栄えていたという。
この銅板の脇の説明書きには以下のように書かれている。
但し、判読不明の部分は伏せ字としている。

   銅板 船橋町鳥瞰図

  贈 一九九四年(平成六年)六月四日
  銅板「船橋町鳥瞰図」設置実行委員会

  船橋町は、九日市(現在の本町一帯)を中心として江戸時代から
 宿場町・漁師町として栄えてきました。
 「船橋町鳥瞰図」は一九二七年(昭和二年)に
 画家松井天山(一八六九年〜一九四七年)によって描かれたもので、
 ××として発展を×めた当時のまちの様子が克明に写生され、
 船橋の歴史を今に伝えるとともに、
 ふるさと船橋の発見に大きな功績を果たしてくれます。
  この銅板鳥瞰図は、松井天山の作品に船橋の町名起源となった
 「舟」を組み合わせたもので、
 船橋を愛する多くの市民・団体・企業の皆様の協賛(協賛氏名は裏側に設置)により、
 市の将来の発展と歴史を生かすまちづくりの願いをこめて制作設置されました。

  船橋市
  船橋市教育委員会

画像 dd23333
撮影日時 2017/06/10 11:32:17

船橋駅北口。
東武百貨店の1階入口と共通で、
東武野田線の入口になっている。
ここから駅前ターミナルに出ることが出来る。


画像 de2380
撮影時刻 2001/11/25 06:50:23




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