53.JR埼京線板橋駅




JR板橋駅は島式1面2線の地上ホームを有する埼京線の駅である。
盛り土上にホームが設置されており、1番線は大宮方面、2番線は新宿方面の列車が使用する。
正式な所属路線名は赤羽線だが、埼京線が開業してからは埼京線に組み入れられた。
1985年3月1日に日本鉄道が品川から赤羽までの区間を品川線として敷設した時に同時に開業した。
品川線は現在の東北本線にあたる日本鉄道の自社線と現在の東海道本線にあたる官設鉄道を繋ぐ路線として敷設したものである。
それまでは日本鉄道線は上野が起点、官設鉄道は新橋が起点となっており、
1890年11月1日には上野から秋葉原までの貨物線が敷設され、神田川を通じた海上交通を使って輸送路を確保したものの、
東北地方の農産物を横浜方面に直通させる目的があった。
1901年8月8日には品川から赤羽までの品川線と信号所から昇格した池袋と、
日本鉄道線(現・東北本線)田端との間の未成線である豊島線を統合して山手線とした。
日本鉄道は1906年11月1日に国有化され、1909年10月12日の線路名称制定により国有鉄道でも正式に山手線となった。
池袋から赤羽までの区間が山手線から分離されたのは1972年7月15日で、この時にこの区間は赤羽線となった。
1982年6月23日に大宮から盛岡まで部分開業した東北新幹線と同年11月15日に大宮から新潟まで部分開業した上越新幹線は、
上野までの延伸が計画され、予定では騒音対策で大宮から赤羽付近までは地下に線路を敷設する予定だったが、
地質調査の結果、地盤の脆弱性が見つかり地下化が困難となり、代替として通勤新線の開業を条件に高架化された。
1985年3月14日にし東北・上越新幹線が開業、同年9月30日には通勤新線として東北本線支線の赤羽から大宮までの新規開業、
既存の赤羽線を統合して埼京線として開業した。
画像は東口(滝野川口)で駅前には噴水があり、また駅近くには「新撰組隊長近藤勇墓所」がある。
但し、近藤勇の墓所には諸説あり、板橋刑場で処刑されたことに旧同士だった永倉新八により墓所のみが建立されたとされるのが有力である。


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撮影時刻 2002/12/30 13:52:06

JR板橋駅西口(板橋口)。
このロケーションからだと晴れていれば、
サンシャイン60や池袋の清掃工場の煙突が見える。


画像 de6459
撮影時刻 2002/12/30 13:49:35
東口(滝野川口)近くにある近藤勇墓所。


画像 dd05222
撮影時刻 2006/04/15 13:50:24




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