93.JR信越本線長野駅




JR長野駅は単式1面1線と島式2面4線の計3面5線の地上ホームを有する信越本線の駅であり、
また北陸新幹線も接続し、島式2面4線の地上ホームを有する。
善光寺口側にはかつて1番線があり在来線特急が使用していたが、はホームは削除され駐車場となっており、1番線は欠番となっている。
単式ホームの2番線、5番線、6番線、7番線は信越本線下り、篠ノ井線直通上り、篠ノ井からしなの鉄道に直通する列車が使用、
飯田線に直通する上り列車と中央本線特急「しなの」はは6番線を使用、3番線は篠ノ井線直通、しなの鉄道直通の上り、
4番線は豊野から分岐して飯田線に直通する下り列車が使用する。
3番線と4番線は同一ホームを中央で分けて3番線は安茂里方面、4番線は北長野のみに線路が繋がっている。
北陸新幹線は11番線から14番線を使用、現在は長野が終点となっており、全列車が折り返しているが、
2014年度末に北陸新幹線金沢延伸が決まっており、その時には上下線が緩急接続できるように開業時から2面4線でホームが作られている。
また信越本線下りは北陸新幹線金沢延伸と同時にJR東日本から経営分離されることが決まっており、
長野県内の長野から直江津はしなの鉄道に転換されることになっている。
信越本線はもともと高崎線高崎から新潟までを結ぶ長距離路線だったが、
1997年10月1日に北陸新幹線高崎から長野までの部分開業に伴い信越本線の難関エリアであった横川−軽井沢間が廃止され、
また軽井沢から篠ノ井間までが第三セクター化されたため、
現在は高崎−横川間と長野−新潟間に分断されているが北陸新幹線延伸でさらに分断の距離が増えることになる。
軽井沢から篠ノ井の間は第三セクターのしなの鉄道が設立され、北陸新幹線部分開業とともに転換されている。
信越本線は高崎から直江津の区間は官設鉄道によって敷設、直江津から新潟の区間は北越鉄道によって敷設されのちに国有化された。
1885年10月15日に高崎から横川が開業、1886年8月15日には直江津から関山までが開業、
1888年5月1日に長野まで延伸、この時に終着駅として開業、同年8月15日には上田まで延伸して途中駅となった。
同年12月1日には上田から軽井沢まで延伸して横川から軽井沢の区間を残すだけとなった。
信越本線で最大の難関区間であった横川から軽井沢の碓氷峠区間も1893年4月1日に延伸開業、官設鉄道の敷設区間は全通した。
また善光寺口の地下には長野電鉄が善光寺下を経由して地上に出てから須坂で分岐して湯田中としなの鉄道屋代までを結ぶ。
「遠くとも 一度は詣れ 善光寺」で知られる善光寺の由来は、
遠い昔の天竺(インド)で娘の如是姫の病気を阿弥陀如来に救って貰った月蓋長者が深く仏教に帰依し、
その熱心な信仰から竜宮の閻浮檀金(えんぶだごん)によって阿弥陀如来の姿を寸分違わず写した一光三尊阿弥陀如来が出現した。
この如来像は長者の死後に百済に渡り、仏教伝来とともに日本に渡った。
しかし大和朝廷では仏教の賛否が争われる中、伝来を拒む物部氏がこの像を難波の堀江に捨ててしまう。
信濃の住人本田善光が堀江を通りかかると如来に呼び止められ、この一光三尊阿弥陀如来を自宅に持ち帰って手厚くお祀りした。
それが善光寺の始まりといわれている。


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撮影時刻 2003/07/27 10:57:32

JR長野駅東口。


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撮影時刻 2001/11/25 13:21:48
JR長野駅善光寺口。
その名の通り「一生に一度」はお参りに行きたい
善光寺方面の出入り口。


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撮影時刻 2003/07/27 11:02:26
JR長野駅善光寺口。


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撮影日時 2015/11/14 11:58:04
1998年長野冬季オリンピックのペナント。
駅コンコースに掲げられている。


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撮影時刻 2001/11/25 13:19:32
JR長野駅善光寺口駅前にある如是姫像。
善光寺の方を向いていると云われている。


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撮影時刻 2003/07/27 11:02:51




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