103.JR中央本線八王子駅




JR八王子駅は中央本線(中央東線)の駅であり、運行上は中央快速線が使用される。
また東神奈川が起点で八王子が終点の横浜線と八王子が起点で倉賀野が終点の八高線も接続する。
京王線も八王子駅があるが、北口から約400mの距離にあり、直接の連絡はない。
島式3面6線のホームを有し、1番線を八高線、2番線から4番線を中央快速線、5番線、6番線を横浜線が使用する。
中央快速線と横浜線のホームの間にJR貨物八王子総合鉄道部があり、これはかつての八王子機関区で、
平坦区間用の機関車と山岳区間用の機関車の付け替えが行われていた。
1889年8月11日、甲武鉄道が立川から八王子まで延伸した時に同時に開業した。
開業当時の八王子駅は現在地よりは北東の場所にあったという。
中央東線は御茶ノ水−八王子間は甲武鉄道によって開業されたが、
八王子から塩尻までは官設鉄道によって敷設された。
1901年8月1日に八王子から上野原までが敷設され、
その時に官設鉄道八王子駅の設置された場所に甲武鉄道が移設されて接続を果たした。
官設鉄道はその後延伸を続け、1906年6月11日には塩尻まで延伸し、
既設の塩尻−篠ノ井間をを編入した。
当時の八王子駅は現在地より西に150mくらいに位置していたという。
1889年4月11日に新宿−立川間を開業させ、8月11日には八王子までの延伸を果たした甲武鉄道は、
1894年10月9日には牛込まで、1895年4月3日には飯田町まで延伸し、
1904年12月31日には御茶ノ水までの延伸果たした。
1906年10月1日に甲武鉄道は国有化された。
1908年9月23日には横浜鉄道が東神奈川から八王子まで路線を開業した。
横浜鉄道は八王子で産出される生糸を横浜に運搬するために設立された。
1910年4月1日には鉄道院が横浜鉄道線を借り上げ、八濱線となる。
八濱線は「はっぴんせん」と読み、八王子と横浜を結ぶ路線ということで名付けられた。
1917年10月1日に横浜鉄道が国有化され、八濱線は横浜線と改称された。
1906年に国有化された甲武鉄道の路線は1909年10月12日の路線名称設定により、中央東線となる。
1931年12月10日に八高線が八高南線として部分開業した。
八高線は八王子から倉賀野までで、倉賀野から高崎線に乗り入れ、運転系統上は高崎までとなる。
八王子側からは八高南線として1931年12月10日に東飯能まで、1933年4月15日まで越生まで延伸し、
1934年3月24日に小川町まで延伸した。
倉賀野側からは八高北線として1931年7月1日に児玉まで、1933年1月25日には寄居まで延伸した。
1934年10月6日には小川町から寄居まで線路が繋がり、八高南線と八高北線が一緒になり、八高線となった。
しかし1996年3月16日に八王子から高麗川までが電化され、高麗川から川越線への直通運転が開始された。
1937年に中央線が複線化された際、現在の場所に八王子駅は移転したといわれている。
1983年11月に現在の駅舎が完成し、同時に駅ビル八王子ナウが開店した。
画像は北口で駅前ロータリーを連絡橋が跨いでおり、道路を横断しないで直接目的のバス停に行けるように作られている。
また画像右側に写っているようにそれぞれにエレベーターが設置されており、障害者や老人などにも配慮が成されている。
駅前ロータリーの先は国道20号甲州街道まで中央分離帯のある駅前通りが続いている。
駅ビル八王子ナウには八王子そごうがテナントとして入っており、、その西側には丸井、ロータリーの反対側には東急スクエアがある。
南口は貨物線を跨ぐ長い跨線橋の先にあり、駅前は野猿街道と呼ばれている。
とんねるずと番組美術スタッフで結成したユニット「野猿」のメンバーに八王子出身者がいたために名付けられた。
八王子の地名の由来には諸説があるが、古事記の説には以下のようにある。
黄泉の国から戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊ぎから生まれた天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
高天原を治めていた天照大神のところに素戔嗚尊がやってきた時、高天原を奪いに来たと勘違いされ、
身の潔白を晴らすためにお互いの持ち物から子を産むことを提案し、
素戔嗚尊は天照大神の鬘(かずら)の勾玉から天津日子根命(あまつひこねのみこと)、
左の角髪(みづら)の勾玉から正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(のさかつあかつかちひあめのおしほみみのみこと)、
右の角髪の勾玉から天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、別名、建比良鳥命(たけひらとりのみこと)、
左手の玉から活津日子根命(いくつひこねのみこと)、右手の玉から熊野久須毘命(くまのくすひのみこと)の五柱の男神を生み、
天照大神は素戔嗚尊の十拳剣(とつかつるぎ)から多岐都比売命(たきつひめのみこと)、
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、別名、狭依比売命(さよのびめのみこと)、
多紀理毘比売命(たきりびめのみこと)、別名、奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)の三柱の女神を生んだ。
このことで素戔嗚尊の身の潔白は証明されたが、調子に乗って高天原で大暴れしたため、
天照大神は天の岩戸に身を隠してしまった。
この五柱の男神と三柱の女神を祀ったのが八王子の地だというものです。
また別の説では平安中期に厳菩薩妙行と言う高僧が修行中に牛頭天王(こずてんのう)とその8人の王子をこの地に祀ることを託された。
そこで907年(延喜16年)牛頭八王子権現を八王子神社に祀ったのが由来とされている。
このことは北条氏照が開基 したとされている宗閑寺に伝わる「華厳菩薩記」の中に書き残されている。
牛頭天王は祇園精舎の守護神とされるコーズなどのインドで古くから信仰されていた神が原形といわれている。
日本では素戔嗚尊と習合された。


画像 de7926
撮影時刻 2003/06/07 12:30:59

JR八王子駅南口。
北口とは同じ駅とは思えない。
住民に密着した駅の趣がある。


画像 de7929
撮影時刻 2003/06/07 12:37:14
JR八王子北口全景。
駅ビル八王子ナウには、
八王子そごうが入っている。


画像 de7928
撮影時刻 2003/06/07 12:32:23
JR八王子駅北口のオブジェ。
「絹の舞」と名付けられ、
連絡橋は「マルベリーブリッジ(桑の橋)」という。
江戸時代から
織物流通の地であることに由来する。


画像 de7927
撮影時刻 2003/06/07 12:31:20




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