1050.西武鉄道東村山駅
西武鉄道東村山駅は島式3面6線の地上ホームを有する新宿線の駅であり、また西武園線、国分寺線も乗り入れている。
西武園線の起点駅、国分寺線の終点であり、橋上駅舎化されている。
1番線は国分寺線、一部の西武園線が使用、2番線は国分寺線が使用、
3番線、新宿線下り副本線、一部西武園線が使用、4番線は新宿線下り主本線、
5番線上り副本線、6番線は新宿線上り主本線が使用する。
新宿線は1892年8月5日に設立された川越鉄道によって、
1984年12月21日に現在の国分寺線となる国分寺−久米川(現・東村山)を開業させたのに始まる。
この時に久米川仮駅として開業、翌年の1895年3月21日には久米川(現・東村山)−川越(現・本川越)間が開業し、
これと同時に久米川仮駅は廃止された。
もともとこの地には農村地帯で駅を作る予定はなかったが、柳瀬川の架橋が工事が遅れ、
久米川仮駅が現在の東村山に開設された。
柳瀬川の架橋が完成し、川越(現・本川越)までの延伸が完了すると久米川仮駅は廃止される予定だったが、
地元の陳情により用地の提供や工事資金の工面などと引き替えに久米川駅が正式開業した。
1895年8月6日に東村山に改称、1927年4月16日には村山線が開業した。
村山線は現在の新宿線の高田馬場から東村山までと西武園線の旧線である東村山から村山貯水池のでの旧称である。
明治末期から東京市(現在の東京23区にあたるエリア)の人口急増により水不足が問題となり、
大和村(現・東大和市)に人造湖を造成することとなり、1916年から1927年にかけて建設され、村山貯水池が完成した。
1930年4月5日には東村山から村山貯水池前まで路線が敷設された。
戦時中の1944年5月10日には東村山から狭山公園前が休止、1948年4月1日には再開した。
村山貯水池前はのちに狭山公園前に改称、移転や改称を繰り返して西武園駅に統合された。
東村山駅はハンセン病患者専用ホームが存在した。
国立療養所多磨全生園に収容されるハンセン病患者や感染症患者向け診療所に入所する結核患者を乗せた専用車があり、
一般客から隔離された専用の駅舎とホームが現在の東口側に存在していた。
その後病院側が自動車を購入して患者の移動することとなり、このホームや列車は廃止された。
画像 dd11049
撮影時刻 2008/08/02 13:02:06
西武東村山駅西口。 画像 dd11047 撮影時刻 2008/08/02 12:56:55 |
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