1081.JR日田彦山線田川後藤寺駅



JR田川後藤寺駅は単式2面2線と島式1面2線と1番線北方を切り欠いた1線の、
計3面5線の地上ホームを有する日田彦山線の駅であり、後藤寺線の起点駅にもなっている。
またJR九州から転換された平成筑豊鉄道糸田線も接続している。
1番線を切り欠いた0番線が後藤寺線新飯塚方面、1番線、3番線、4番線は日田彦山線上下線、
2番線は平成筑豊鉄道糸田線直方方面が使用する。
1896年2月5日に豊州鉄道が伊田(田川伊田)から後藤寺(現・田川後藤寺)までの区間を敷設、この時に同時に開業した。
豊州鉄道は田川地区で産出される石炭の輸送を目的に設立された会社で、
1895年8月15日に現在の行橋から伊田(現・田川伊田)までの区間を敷設、
伊田から延伸開業する形で後藤寺までの区間が敷設された。
1987年10月20日には後藤寺から宮床(現・糸田)、及び貨物線の豊国までを敷設したが、
1901年9月3日に現在の鹿児島本線の一部を敷設した九州鉄道と合併、
1907年に鉄道国有法により国有化され、宮床線となった。
金田から糸田までが国有化されたことにより、産業セメント鉄道糸田駅を廃止、
宮床駅に併合して糸田に改称、豊国までの貨物線は廃止して金田から後藤寺までを糸田線とした。
1909年10月12日の線路名称制定により行橋から伊田、後藤寺を経由して添田までの区間が田川線となった。
田川線は小倉鉄道によって敷設された城野から河原までの添田線、
日田から彦山に向けて延伸した彦山線、田川線の延伸区間として西添田から延伸区間と彦山線を編入した日田線、
それらを再編して1960年4月1日に城野から後藤寺を経由して夜明までを日田彦山線とした。
戦後の石炭の出荷量の減少や炭田の閉鎖により糸田線は1987年2月3日に国鉄第3次特定地方交通線として廃止が承認、
それを受けて1989年4月26日に第三セクター鉄道の平成筑豊鉄道が設立、
糸田線と日豊本線行橋から田川伊田までの田川線、
金田から田川伊田までの伊田線までを結ぶ田川線を含めて3路線を引き継いだ。
社名決定日が1989年1月7日の昭和天皇が崩御、年号が「平成」に改められた日だったため、
公募で予定していた社名から急遽予定を変更して「平成筑豊鉄道」となった。
後藤寺から田川後藤寺に駅名を変更したのは1982年11月3日で、
駅所在地の福岡県田川市は1943年11月3日に後藤寺町と伊田町が合併して田川市となったのだが、
市野中心地が未だに後藤と伊田に分かれているため、
両駅を田川市の駅ということを認識して貰うために「田川」をつけいることとなった。


画像 dd11711
撮影時刻 2008/10/18 13:16:35



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