1115.JR山陽本線新山口駅



JR新山口駅は単式2面2線と島式3面6線の、
計5面8線の地上ホームを有する山陽本線の駅である。
また新山口から分岐する山口線の起点駅、宇部線の起点駅でもある。
また山陽新幹線の接続駅にもなっており、
通過線の中線2線を挟んで相対式2面2線の高架駅がある。
画像は南口(新幹線口)でその反対側の北口(在来線口)から付番、
単式ホームの1番線と隣の島式ホームの2番線が山口線が使用、
新山口から津和野を結ぶ「ふじさん11号」SLやまぐち号」は1番線を使用する。
3番線は回送列車用でフェンスが設置され、旅客利用はされていない。
4番線は山陽本線上り主本線、5番はが山陽本線上り副本線、
6番線は薬用本線下り主本線、7番線は山陽本線下り副本線となっている。
単式ホームの8番線は宇部線直通列車が使用する。
山陽本線は一部上りが6番線を使用、下りが5番線を使用することもある。
新幹線は上り新大阪方面が11番線、下り博多方面が12番線に付番されている。
山陽本線は山陽鉄道が敷設した路線で、
1900年12月3日に三田尻(現・防府)から厚狭までに延伸した時、
開業時は地名が吉敷郡小郡町だったことから「小郡」の駅名で開業した。
山陽鉄道は1906年12月1日に国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で山陽本線となった。
同年2月21日には大日本軌道山口支社線が乗り入れてきたが、
1913年2月20日に廃止された。
大日本軌道山口支社線が廃止と同時に山口線が山口まで開業した。
1925年3月26日には宇部鉄道が乗り入れ、
戦時中の1943年5月1日に国有化され、宇部東線となった。
戦後の1948年2月1日に宇部東線は宇部線に名称変更した。
東海道新幹線は1964年10月1日に東京から新大阪まで開業した。
1972年3月15日に岡山まで延伸、
延伸区間は山陽本線の新設の幹線であったため、
山陽新幹線と名付けられた。
更に1975年3月10日には岡山から博多まで延伸、この時に同時に開業した。
2005年10月1日に小郡町が近隣の町とともに山口市に合併することを睨み、
2年前の2003年10月1日に駅名を新山口に改称した。
南口には「種田山頭火像」がある。
自由律俳句の俳人は山口出身で、
その句碑には以下のように書かれている。

    まったく雲がない笠をぬぎ 山頭火

 種田山頭火は、さすらいの旅を続け、質の高い
 自由律俳句を作りつづけた層雲派の俳人で
 「昭和の芭蕉」といわれた。
 昭和七年から同十三年まで郡町矢足に
 住み、家を「其中庵(ごちゅうあん)」と称し、
 生涯でもっとも充実した日々をおくり、「其中
 日記」を残した。
 この句は、昭和五年に旅の途中、晴天の下で
 網代笠(がさ)をとり、ひと休みしたときに詠ん
 だもので直筆を復元して刻んでいる。


画像 dd24181
撮影日時 2018/07/22 13:14:12

リニューアル前の北口(在来線口)。


画像 dd24083
撮影日時 2018/07/21 10:45:57
北口駅前ひろば「0番線」全景。


画像 dd24082
撮影日時 2018/07/21 10:44:59
リニューアル前の北口(在来線口)。


画像 dd13006
撮影時刻 2009/07/25 14:01:30
南口の種田山頭火像。


画像 dd12967
撮影時刻 2009/07/25 09:24:36




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