120.JR山手線原宿駅
JR原宿駅は単式2面2線の地上ホームを有する山手線の駅である。
1番線は内回り東京方面、2番線は外回り新宿方面が使用する。
もともとは現在の2番線ホームは多客時に明治神宮参拝客専用の臨時ホームだったが、
旧表参道口改札を廃止して臨時ホームを外回り専用ホームに流用、
島式1面2線+臨時ホームから方面別2面2線に変更した。
表参道口旧駅舎は隣接する明治神宮にふさわしい趣のあるデザインだったが、
法令で定められた耐火性能を有していないことから解体され、
現在の駅ビルに立て替えられた。
しかし旧駅舎の存続を望む声も多かったことから、
解体資材を流用して駅ビルの隣に旧駅舎を復元している。
西側には明治神宮と代々木公園が広がり、神宮橋を渡って行くことが出来る。
東側には竹下通りを中心に若者文化の発信基地としての役割を担っており、
駅の東西で全く違った面持ちを見せる。
原宿駅前通りは北へ行くほど下がっており、
表参道口ではホームは地下1階に位置するが、竹下口では2階になる。
表参道には営団地下鉄千代田線が走っており、明治神宮前駅と接続する。
山手線は品川を起点、田端を終点とする20.6kmの鉄道路線である。
上下線の旅客線のほか、上下線の貨物線を有する複々線の路線である。
現在ではこの山手貨物線東北本線と東海道本線を結ぶ貨物線であるが、
この区間を利用して埼京線や湘南新宿ラインの旅客列車が運行されている。
山手線は東海道本線の支線扱いである。
運転系統的には路線としての山手線に加え、
東京から品川までの東海道本線、
東京から田端までの東北本線にそれぞれ専用線を設け、
複線で環状運転が行われている。
東京駅を含めて環状運転されているため、
上り、下りの区別が不可能であることから、
環状線の内側を走る運転方向を内回り、外側は外回りと称する。
東京駅を起点に考えると上野方面を内回り、品川方面を外回りと呼ぶ。
山手線が最初に敷設したのは1881年に設立された日本鉄道で、
この日本鉄道は東京から青森までの鉄道線を接することを目的に設立された。
この計画路線が現在の東北本線である。
日本鉄道は更に自社路線と官設鉄道(現・東海道本線)を繋ぐべく、
官設鉄道品川から日本鉄道赤羽までの連絡線を、
1885年3月1日に敷設、路線名を品川線とした。
開業時の中間駅は渋谷、新宿、板橋のみであった。
同年3月16日には遅れて目黒、目白が開業した。
日本鉄道はもうひとつの自社路線である土浦線(のちの海岸線、現・常磐線)からも、
官設鉄道への乗り入れを模索していた。
起点の上野まで乗り入れず、直接品が保線にアクセスするため、
1896年4月1日に日本鉄道田端が開業、
同年12月25日には南千住から分岐して田端にアクセスする貨物専用線を敷設した。
また品川線池袋信号所から田端までの短絡線、路線名豊島線とも建設が開始された。
日本鉄道は1901年8月8日に品川線と建設中の豊島線を統合し、山手線とした。
豊島線として建設された短絡線は1903年4月1日に開業、
これに合わせて池袋信号所が駅に昇格した。
こうして現在の品川から田端までの区間が開業した。
日本鉄道は1906年11月1日に国有化されたが、
原宿駅はその直前の同年10月30日である。
東京駅が開業したのは1914年12月20日で、
日本鉄道時代の東北本線起点駅上野から、
貨物専用線の秋葉原までは1890年11月1日に開業していたが、
1925年11月1日には神田から上野までが開通、
貨物駅だった秋葉原も旅客営業を開始、山手線が環状運転を開始した。
現在の駅ビルタイプの新駅舎が供用開始したのは2020年3月21日である。
画像 dd25634
撮影日時 2020/07/12 9:28:21
側面から見た表参道口旧駅舎。
画像 de0825 |
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正面から見た表参道口旧駅舎。 画像 de0827 撮影時刻 2001/06/16 17:23:18 |
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JR原宿駅竹下口。 竹下通りへの改札口である。 画像 dd25637 撮影日時 2020/07/12 9:31:47 |
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ホーム北端から見た宮廷ホーム。 お召し列車発着専用である。 画像 de6393 撮影時刻 2002/12/14 15:50:33 |
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