1223.新京成電鉄習志野駅
新京成電鉄習志野駅は相対式2面2線の地上ホームを有する新京成線の駅である。
1番線は下り京成津田沼方面、2番線は上り松戸方面が使用、
駅舎は1番線ホーム側に設置され、2番線ホームとは跨線橋で結ばれている。
所在地は船橋市であり、習志野市ではない。
新京成線は戦前の陸軍鉄道連隊演習線として敷設され、
第二次世界大戦が激化すると路線は放置されたが、戦後に京成電鉄に払い下げられた。
1947年12月27日に新津田沼から薬園台までの区間が部分開業、
1948年8月26日に滝不動まで延伸された。
習志野に駅が出来たのは路線の部分開業から少し遅れた同年10月8日である。
駅名は地名から来ているが、「習志野」の地名の由来には諸説がある。
習志野駅の南東約500mの薬円台公園に郷土資料館があり、そこには「明治天皇駐蹕之処」という石碑が建っている。
そこには以下のように書かれている。
習志野地名発祥の地 附 明治天皇駐ひつ之処の碑
現在の船橋市習志野台・習志野付近一帯は、かつて、大和田原あるいは正伯原ともいわれ、
江戸時代には幕府の牧(馬の放牧場)の一部でした。
その後、明治7(1874)年から昭和20(1945)年までは陸軍の演習場でした。
明治6(1873)年4月29日、明治天皇は徳大寺宮内卿・西郷隆盛・篠原国幹ほか
多くの供奉者を従え、薩摩・長州・土佐の兵からなる四個大隊2800人の近衛隊を率いて、
県下に初めて行幸されました。
午後には船橋宿九日市村に到着し、櫻屋で昼食をとられました。
その夜は荒天にもかかわらず、演習地の幕舎に野営されました。
翌30日は近衛兵の演習をご覧になり、5月1日皇居へ還御されました。
同13日天皇より勅諭をもって、この原に「習志野ノ原」の名を賜わり、
その後、陸軍の演習場として定められました。
これが現在の「習志野」の地名の由来です。
画像 dd15787
撮影時刻 2010/06/12 12:36:32
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