1249.JR木次線出雲横田駅
JR出雲横田駅は相対式2面2線の地上ホームを有する木次線の駅である。
駅舎側のホームが2番線となっており、下り備後落合方面が使用、
駅舎反対側ホームの1番線は上り宍道方面が使用、構内踏切で結ばれている。
木次線は1914年に免許を下付された簸上鉄道が、
1916年10月11日に宍道から木次までの区間を開業させた。
簸上鉄道は1934年8月1日に国有化されたが、
1932年12月8日には木次から出雲三成までの区間が既に開業していた。
国有化後した同じ年の1934年11月20日には八川まで延伸、出雲横田もこの時に同時に開業した。
駅舎は神社を模した造りになっており、開業当時の駅舎が現在も使われている。
木次線はその後も延伸され、1937年12月12日に備後落合まで延伸され全通した。
出雲横田駅は入り口には注連縄があり、神社を思わせる造りになっているが、
町の外れには奇稲田姫を奉った稲田神社があり、この駅にも“奇稲田姫”の愛称がある。
「奇稲田姫」は「くしなだひめ」と読み、古事記に登場する足名椎命、手名椎命の娘である。
この夫婦の8人の娘は毎年一人ずつ八岐大蛇に喰われていたが、
最後に残った末娘の奇稲田姫を見た素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して結婚することになった。
木次線は斐伊川に沿うように敷設されているが、この川が八岐大蛇伝説の残っている川でもある。
駅舎には奇稲田姫に関する伝説が解説されていた掲示物があった。
素戔嗚尊と奇稲田姫の結婚
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、
八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して
奇稲田姫(くしいなだひめ)を救い結婚の約束をされた。
そして結婚によい所を探されました
ついに須賀(すが)に着かれ、
そこで、「ああ、私の心はすがすがしい」といわれました。
そこで、ここに宮を立てられました。
そのとき素戔嗚尊は「八雲立つ、出雲八重垣、妻ごみに、
八重垣つくる、その八重垣を」と口にされました。
これがのちに言う三十一文字(みそひともじ)、
五・七・五・七・七という日本初の恋歌であり
わが国の和歌のはじめと言われています。
画像 dd16148
撮影時刻 2010/08/19 12:52:53
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