1251.JR芸備線三次駅



JR三次駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する芸備線の駅である。
芸備線のほか、三江線の終点でありまた塩町から分岐する福塩線も運行上終点として接続する。
駅舎側の単式ホームが1番線、島式ホームが2番線、3番線に付番され、
列車によって全ホームとも芸備線の上下線が発着する。
また福塩線は1番線、2番線を使用、三江線は3番線を使用する。
単式ホームと島式ホームの間には待避線があり、また3番線の南側には留置線も存在する。
芸備線は広島から備後庄原までを芸備鉄道が敷設、
備後庄原から備後落合は鉄道省が荘原線として、備中神代から備後落合までは三神線として開通した。
芸備鉄道は広島から三次までを敷設する鉄道として1911年に免許を下付され、
1915年4月28日に広島から志和地までが開業、同年6月1日に三次(現・西三次)までが開業した。
1922年6月7日に塩町まで延伸、1923年12月8日には備後庄原までが延伸された。
現在の三次に駅が出来たのは1930年1月1日で開業時には“十日市”の駅名だった。
1933年6月1日には備後十日市に改称、1936年10月10日には庄原線が三神線に編入され、
備中神代から備後十日市(現・三次)までが三神線となる。
一方、広島から三次までは芸備鉄道により敷設され、1937年7月1日に国有化、
これと同時に三神線を編入して広島から備中神代までが芸備線となった。
1954年12月10日に三次に改称された。
1955年3月31日に式敷までの区間が三江南線として開通、1963年6月30日には口羽まで延伸、
一方、北側からは三江線として1930年4月20日に石見江津(現・江津)から川戸までが部分開業、
1931年5月20日に石見川越まで延伸、1934年11月8日には石見川越まで延伸、
1935年12月2日には石見簗瀬まで延伸、1937年10月20日には浜原まで延伸した。
日華事変から太平洋戦争に渡って不要不急路線の工事は凍結されていたが、
戦後の1955年には三江南線が部分開業して三江線として工事中の区間が三江北線に改称、
1975年8月31日には浜原と口羽の間が開業して全通、三江北線と三江南線は三江線に統合されたが、
口羽での工事の遅れで全線直通運転が可能になったのは3年後だった。


画像 dd16168
撮影時刻 2010/08/19 16:03:02



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