134.東武鉄道浅草駅
東武鉄道浅草駅は頭端式3面4線の高架ホームを有する、
東武伊勢崎線の起点駅であり、
伊勢崎線に直通する日光線も発着している。
1番線、2番線は普通、区間準急、区間急行などが使用、
3番線、4番線は中間改札が設置されており、有料特急が発着する。
2017年より5番線は使用されていない。
駅舎は地上7階、地下1階の商業ビルとなっている。
設計は建築家の久野節の事務所が担当した。
久野節は南海電鉄難波駅や近鉄宇治山田駅も設計している。
開業当時はアール・デコ様式の建築であったが、
経年劣化から1974年に外壁を覆う補強工事を実施した。
しかし東武スカイツリー駅開業に併せて再度リニューアルされ、
耐震補強工事を実施、2012年5月18日に竣工、開業当時の姿に復元された。
江戸通りと馬道通りの分岐する交差点に立地しており、
駅を出てすぐに隅田川を渡り、業平橋(現・東京スカイツリー)に至るため、
ホーム自体もカーブしており、ホームとドアの間に隙間が出来てしまい、
一部では渡り板を設置して乗降時の転落事故を防止している。
東武鉄道は日本で2番目の営業距離を誇る大手私鉄で、
関東では最長の路線を有する。
その設立の経緯から東武本線と東上本線の2つの本線を持つ。
東武本線は1897年11月1日に創立し、
1899年8月27日、現在の伊勢崎線の一部である北千住−久喜間が開業する。
その後経営不振により根津財閥の根津嘉一郎を迎え再建に乗り出した。
佐野鉄道、太田軽便鉄道と合併し、
1920年7月22日に東上鉄道と対等合併した。
東上鉄道は川越と東京とを結ぶ路線として、
幾つかの鉄道会社が設立と挫折を繰り返し、
1911年に根津嘉一郎を社長に迎えて東上鉄道が設立され、
1914年には池袋から田面沢が開業した。
田面沢は現在の川越市−霞ヶ関間にあった駅で現在は廃止されている。
東上鉄道は東京から渋川を結ぶ路線として計画されたことから、
東京の「東」と渋川の旧国名の上野国と「上」をとって東上鉄道と名付けられたが、
将来的には長岡まで延伸する計画もあった。
1916年坂戸町(現・坂戸)まで延伸したところで東武鉄道と対等合併した。
東上鉄道の路線は東上本線として合併後も独立し、
寄居まで延伸されたところで計画は凍結された。
東武鉄道は念願だった浅草に乗り入れ、
ターミナル駅としてデパートの松屋がテナントとして入る形になった。
その後も上州鉄道、下野電気鉄道、越生鉄道、総武鉄道、
日光鉄道などと次々合併し、路線を延ばしていった。
その一方で私鉄としては貨物輸送にも力を入れていたが、
物流の中心が鉄道からトラックに変わるのにつれて営業を縮小し、
2003年10月1日に貨物営業は終了した。
浅草は東武本線の始発駅であり、全ての有料特急が発着していたが、
2006年3月18日に栗橋駅に連絡線が設置、
JR東日本と直通運転が実施され、
「スペーシア」がJR新宿駅から宇都宮線経由で栗橋まで来て、
ここで東武本線に乗り入れる相互直通を開始したため、
浅草駅の始発駅としての機能は減少した。
それでも東武本線系統の列車の始発駅であり、
また東京下町のメッカ、浅草の最寄り駅として賑わいを見せる。
この画像の右側に「電気ブラン」で有名な神谷バーがあり、
更に行くと浅草寺の雷門がある。
画像の左側には隅田川が流れていて、
吾妻橋を渡るとリバーピア吾妻橋という公園がある。
墨田区役所のほか、何故か「うんこビル」と呼ばれているアサヒビールの「フラムドール」がある。
「フラムドール」とはフランス語で、直訳すると「黄金の炎」となる。
画像 dd21349
撮影日時 2015/05/01 5:44:04
外壁補強パネル設置時の浅草駅。 画像 de8814 撮影時刻 2003/08/30 08:15:08 |
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浅草と云えば、 浅草寺(せんそうじ)の雷門。 雷神と風神が観光客を迎えてくれる。 画像 de1154 撮影時刻 2001/07/21 18:26:57 |
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