1340.JR日豊本線南宮崎駅
JR南宮崎駅は島式2面4線の地上ホームを有する日豊本線の駅である。
日南線との分岐駅にもなっていて、また日南線田吉から分岐する宮崎空港線も発着する。
普通列車は日豊本線下り、上りが1番線と2番線を使用、日南線、宮崎空港線は3番線、4番線を使用する。
特急は鹿児島方面は1番線、2番線、宮崎空港と大分方面は3番線、4番線を使用、
方面別にホームを使い分けることによって乗り換えをスムーズにしている。
宮崎車両センターが併設されており、多くの側線があって車両が留置されている。
現在の日豊本線は小倉から重岡までの区間は豊州鉄道とそれを合併した九州鉄道によって敷設、
九州鉄道国有化後に宮崎線として延伸開業していき、佐土原から宮崎までは宮崎県営鉄道が敷設した区間を編入した。
国分(現・隼人)から鹿児島までは官設鉄道鹿児島線として敷設、全通後に日豊本線となった。
1895年4月1日に九州鉄道が小倉から行事までの区間を敷設した。
田川地区で産出される石炭の輸送を目的に設立された豊州鉄道によって、
1895年8月15日に行橋から伊田(現・田川伊田)までの区間を敷設、この時に同時に開業した。
同年8月25日に行事駅を廃止して豊洲鉄道行橋駅に終点を変更した。
1897年9月25日には行橋から長洲(現・柳ヶ浦)まで延伸開業した。
小倉から鹿児島までの区間が全通したのに伴い、1932年12月6日にこの区間が日豊本線となった。
南宮崎に最初に駅を作ったのは宮崎軽便鉄道で、1913年10月31日に赤江から内海までの区間が開業、
1915年3月20日に宮崎線が開業したのに伴い連絡駅となる。
この時に赤江は 大淀に駅名改称された。
宮崎線は現在の吉都線を延伸する形で1914年2月11日に都城から三股まで延伸、
同年8月15日に山之口まで延伸、1915年3月20日に宮崎まで延伸された。
宮崎軽便鉄道は1920年に社名を宮崎鉄道に変更、戦時政策によって宮崎鉄道は宮崎交通になる。
1962年1月に起きた土砂崩れのため一部区間が休止、同年7月1日に路線廃止、
のちに廃線跡が日南線に転用されることになった。
戦時中の1942年4月1日に大淀は南宮崎に改称された。
画像 dd19684
撮影時刻 2013/09/15 17:08:57
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