1369.松浦鉄道たびら平戸口駅
松浦鉄道たびら平戸口駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する西九州線の駅である。
単式ホームが1番線に付番、下り方面の列車が使用、
島式ホームは2番線と3番線に付番、3番線が上り方面が使用、2番線は上下線の列車が使用する。
沖縄都市モノレールが開業するまでは日本最西端の駅だったが、
ゆいモノレールが開業により那覇空港駅が日本最西端の駅になった。
しかし線路を走る一般鉄道としては日本最西端であることから、
現在でも駅には「日本最西端の駅」と書かれており、駅前には石碑もある。
また駅舎の一部が鉄道資料館になっており、屋外に石炭車セラ2206が保存されている。
松浦鉄道小浦駅は単式1面1線の地上ホームを有する西九州線の駅である。
駅舎はなく簡易の待合室があるのみだが、駅から一般道まで少し広場があり、
道から数段の階段を上がった場所に駅前広場がある。
松浦鉄道は国鉄特定地方交通線であった松浦線を引き継ぎ、
1987年12月10日に設立された第三セクター鉄道である。
松浦線は有田から吉井間が伊万里鉄道によって敷設され、
佐世保から吉井までが佐世保鉄道によって敷設された。
伊万里鉄道は1898年8月7日に有田から伊万里までを開業させたが、
同年12月28日に九州鉄道に合併された。
1907年7月1日に鉄道国有法によって九州鉄道が国有化され、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称制定によって伊万里線となる。
1930年3月21日には楠久まで延伸、10月1日には今福まで延伸、
1933年6月25日には志佐(現・松浦)まで延伸、
1935年8月6日には 平戸口(現・たびら平戸口)まで延伸、この時同時に開業した。
1933年1月25日には潜竜(現・潜竜ヶ滝)まで延伸、
そして戦時中の1944年4月13日に肥前吉井(現・吉井)まで延伸開業した。
一方、佐世保軽便鉄道は石炭の運搬のため、
1920年3月27日に相浦から大野(現・左石)を経て柚木までを開業させた。
1921年10月17日には大野から上佐世保まで延伸した。
佐世保軽便鉄道は1923年12月26日に佐世保鉄道に社名を変更した。
1931年8月29日には実盛谷から四ツ指(のちの四ツ井樋)を経て臼ノ浦までを開業、
同年12月27日には四ツ指から佐々までを延伸、
1933年10月24日に岡本彦馬専用鉄道を買収、佐々から吉井を経て世知原までを延伸した。
1936年10月1日に佐世保鉄道全線が国有化され、松浦線となった。
軽便鉄道として開通していたため、狭軌に改軌が行われ、
1935年11月9日には北佐世保から佐世保までを延伸、
1943年8月30日には上佐世保から左石までを廃止、実盛谷から相浦までを廃止した。
1945年3月1日に肥前吉井−世知原間を世知原線、佐々−臼ノ浦間を臼ノ浦線、
左石−柚木間を柚木線として分離し、松浦線は有田−伊万里−佐世保間とした。
1984年6月22日に第2次特定地方交通線として廃止が承認され、第三セクター鉄道への転換が決定した。
1987年4月1日には国鉄分割民営化によってJR九州に継承、
1988年4月1日に松浦鉄道に転換、路線名を松浦線から西九州線に変更した。
開業時には平戸島への最寄り駅から「平戸口」の駅名だったが、
路線が松浦鉄道に転換された翌年に所在地が長崎県北松浦郡田平町だったため、
町名も加えて「たびら平戸口」に改称された。
2005年10月1日には市町村合併で田平町も平戸氏と合併したが駅名は変更されていない。
画像 dd20124
撮影時刻 2014/05/22 12:30:15
日本最西端の駅の石碑。 画像 dd20127 撮影時刻 2014/05/22 12:32:19 |
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