1377.JR鹿児島本線久留米駅



JR久留米駅は島式ホーム2面4線と、
東側のホームの一部を切り欠いて1面1線の計3面5線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
在来線は所属路線の鹿児島本線と久留米を起点とする久大本線が接続する。
また九州新幹線鹿児島ルートも接続し、相対式2面2線の高架ホームを有する。
駅舎は3階建てで1階が在来線、3階が新幹線のホームとなっており、2階に改札口がある。
在来線は東側の島式ホームの1番線は及び3番線は鹿児島本線下りが使用、
1番線の一部を切り欠いた2番線は久大本線への発着する普通列車が使用する。
西側の島式ホームは4番線と5番線に付番され、鹿児島本線上りが使用する。
鹿児島本線と久大本線を直通する列車は1番線、3番線、5番線を使用する場合もある。
鹿児島本線上りへの折り返し列車の一部は1番線及び3番線を使用する場合もある。
新幹線は通過線がなく、11番線は九州新幹線上り、12番線は九州新幹線下りが使用する。
画像は水天宮口であり、橋上駅舎化されているほか、東西自由通路も兼ねている。
鹿児島本線は九州鉄道により敷設されていった路線で、
1889年12月11日に博多から筑後川北岸の千歳川仮駅を敷設、
1890年3月1日には千歳川仮駅は廃止の上久留米まで延伸、同時に終着駅として開業した。
また同年9月28日には博多から赤間まで延伸、同年11月15日には赤間から遠賀川までが延伸した。
1891年2月28日には遠賀川から黒崎まで延伸、九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で門司から人吉までが人吉本線に制定された。
鹿児島本線は現在の肥薩線にあたる八代から人吉経由で鹿児島に至る路線として敷設されていった。
官設鉄道鹿児島線として1903年に国分(現・隼人)から吉松までが敷設され、
1909年11月21日には人吉から吉松までの区間が開通、門司から鹿児島までが山線経由で全通し、
同時に門司から八代経由で人吉までの人吉線が鹿児島本線に改称、鹿児島線も同時に編入された。
1913年から川内線として敷設された海線は1927年10月27日に鹿児島から八代までが全通、
これと同時に海線を鹿児島本線に編入の上、人吉経由の山線を肥薩線に改称した。
一方、久大本線は大湯鉄道によって部分開業した路線を、
国有化後に延伸して開業した九州を横断する地方交通線である。
大湯鉄道によって1915年10月30日に大分市から小野屋までが部分開業した。
1922年12月1日に大分鉄道は国有化され、大湯線となった。
国有化を機に大分市は大分に統合されて廃止された。
1923年9月29日に湯平まで延伸、同年7月29日に北油布まで延伸、
1926年11月26日には野矢まで延伸、1928年10月28日に豊後中村まで延伸、
1929年12月15日に豊後森まで延伸、1932年9月16日に北山田まで延伸、
1933年9月29日に天ケ瀬まで延伸された。
久留米側からは久大線として1828年12月24日に久留米から筑後吉井までが部分開業、
1931年7月11日に筑後大石まで延伸、1932年3月12日に夜明けまで延伸、
1934年3月3日に日田まで延伸、同年11月15日に天ケ瀬まで延伸、全通した。
この時同時に大湯線を久大線に編入、1937年6月27日に久大本線に路線名を変更した。
久留米はゴム産業の発祥地であり、巨大なゴムタイヤのオブジェと以下のような表示があった。

    ゴム産業発祥の地

  日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献

 久留米市は、ゴム産業を中心に栄え、現在も多くの関連企業が立地しています。
 その代表は、久留米市を発祥の地とするムーンスターやアサヒコーポレーション、
 ブリヂストンなどの企業があり、
 それらの企業は日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献してきました。

  久留米市でのゴム産業の始まり

  1873年(明治6年)、倉田雲平は半物と軽視されていた足袋の製造に注目し、
 「つちやたび(現在は「ムーンスター」)」を創業しました。
 1892年(明治25年)、石橋徳次郎が創業した
 仕立物屋「志まや」を石橋重太郎・正二郎兄弟が継承。
 石橋兄弟は足袋専業に踏み切り、足袋を均一価格で販売するなど
 当時としては斬新なアイディアで成長し、
 1918年(大正7年)に「日本足袋(現在は「アサヒコーポレーション」)」を設立しました。
  1923年(大正12年)に「日本足袋」と「つちやたび」は
 底にゴムを貼った地下足袋の販売を開始し大きく飛躍、両社はゴム製品製造業へ移行する。
 その後、ゴム靴の生産や海外への輸出を始め、その成長はめざましいものであった。
  1930年(昭和5年)、「日本足袋」は自動車用タイヤの試作に成功。
 翌年、石橋正二郎は久留米市に「ブリッヂストンタイヤ(現在は「ブリヂストン」)」を設立し、
 その直後より自動車用タイヤの輸出を開始した。
 足袋から地下足袋、ゴム靴、そしてタイヤの生産とゴム産業は拡大を続け、
 久留米市の中心産業となった。


画像 dd20167
撮影時刻 2014/05/23 11:12:48

JR久留米駅まちなか口。


画像 dd2074
撮影時刻 2014/05/23 11:07:19
JR久留米駅新幹線ホーム部分。


画像 dd20176
撮影時刻 2014/05/23 11:08:47
駅前に設置された世界最大級のタイヤ。


画像 dd20178
撮影時刻 2014/05/23 11:14:09




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