1379.甘木鉄道甘木駅
甘木鉄道甘木駅は島式1面2線の地上ホームを有する甘木線の駅である。
駅舎とは構内踏切で結ばれていて、駅の先には車庫を兼ねた検修庫が設置されている。
またホームと駅舎の間には検修庫方面から繋がる留置線があり、
また2番線側にも留置線がある。
甘木線は国有鉄道として1937年5月から工事が開始され、
1939年4月28日に全区間が同時に開業した。
開業時の駅名の読み方は「あまき」だったが、
同年9月20日に読み方を「あまぎ」に変更した。
甘木線は1981年9月18日に第1次特定地方交通線として廃止承認、
国鉄分割民営化前の1986年4月1日に甘木鉄道に転換された。
甘木は邪馬台国の所在地ではないかと云われている場所のひとつであり、
駅前には説明板が設置されている。
卑弥呼の里、あまぎ・あさくら
邪馬台国論争は、古くは江戸時代からあるが、
産能大教授安本美典先生他、多くの学者は、
高天原は邪馬台国で、それは甘木朝倉地方であり、
邪馬台国の女王卑弥呼は天照大神としている。
この地方は、いたる所に貴重な遺跡が発見され
「遺跡の宝庫」といわれている。
特に福田大地とその周辺は国指定史跡小田茶臼塚古墳や、
平成四年十二月に発掘された平塚川添遺跡は
邪馬台国時代の多重の環濠をもつ集落として、
又、その当時の「クニ」の様子がうかがえると注目され、
平成五年十二月十九日に国指定史跡となった。
これらの遺跡からの出土品の数々は
甘木歴史資料館に展示されており、
古代の中国大陸や朝鮮半島との文化交流が
わが国における原始的国家形成の跡を無言のうちに象徴している。
日本古代史研究家の中で注目を集めている邪馬台国東遷説は、
大和朝廷の前身が九州にあった邪馬台国とするものである。
甘木地方には御笠山、笠置山、平群、三輪雲堤など、
大和地方と共通の地名が、よく似た盆地上の地形の中に
同じ位置関係で残されていることから、
ここが大和の故地であると考えるのである。
甘木朝倉地方には卑弥呼や神功皇后にかかわる伝承が数多く残されている。
斉明天皇が朝倉に宮を置いたことも併せて、注目すべきことである。
また、この地域を流れる安川(甘木川)は、
高天原の川といわれる「天の安川」とも考えられており、
その清流は今なお往古の「ロマン」を留めている。
この地の豊かな歴史的遺産を顧み、
「夢とロマンの邪馬台国」シンボルとして、
ここに「卑弥呼の里、あまぎ・あさくら」の碑を建立する。
画像 dd20194
撮影時刻 2014/05/23 13:00:32
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