1395.一畑電車雲州平田駅
一畑電車雲州平田泉駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する北松江線の駅である。
唯一の直営駅であり、駅には本社が併設、また車両区も併設されていて車庫や留置線がある。
基本的には駅舎に隣接した1番線が上下線とも使用、
島式ホームの2番線はここで列車が入れ違う時に電鉄出雲市方面の列車が使用、
3番線はも列車交換時に使用され、単式ホームと島式ホームは地下通路で結ばれている。
一畑電鉄は現在の山陰本線に当たる鉄道が1910年に米子から出雲今市まで延伸のを受け、
出雲今市から一畑薬師までを結ぶ鉄道として1912年4月に一畑軽便鉄道の名でが設立された。
翌年から建設が始まり、1914年4月29日に出雲今市から平田までが部分開業した。
その後も延伸工事を続け、1915年2月4日に一畑までが開通した。
一方で出雲大社へのアクセス線も計画され、国鉄大社線との競合を避けるために
川跡から分岐する形で敷設されることになり、また路線の電化と同時に工事が進められ、
1925年7月には社名を「一畑電気鉄道」に変更し、
1927年10月1日に既設線である出雲今市から一畑までの区間が完成、
1928年4月5日に小境灘から北松江の区間が電化区間として延伸開業、
1930年2月2日には念願だった川跡から大社神門まで電化延長した。
しかし戦時中の1944年11月16日には小境灘から一畑までの区間が不要不急路線として営業休止、
戦時輸送を担っていた名古屋鉄道に供出されそのまま廃線となった。
戦後の1954年5月1日には出雲鉄道を買収して立久恵線、
同年12月1日には島根鉄道を買収して広瀬線とした。
しかし1960年6月20日には広瀬線が廃止、
1964年7月19日に水害で被災した立久恵線も翌年2月19日付で廃止された。
2006年4月1日には一畑電気鉄道は持ち株会社に移行、
鉄道部門は新設された一畑電車が継承した。
1914年4月29日に部分開業時に終着駅として開業した時の駅名は“雲州平田”だったが、
1970年10月1日には“平田市”に改称されたが、
2005年3月22日には再び“雲州平田”に戻された。
画像 dd20347
撮影時刻 2014/05/25 13:16:53
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