1405.東武鉄道亀戸水神駅



東武鉄道亀戸水神駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東武亀戸線の駅である。
駅舎と隣接する1は番線は上り、2番線は下りが使用、2つのホームは構内踏切で結ばれている。
東武亀戸線はもともと本線として機能していた時代もあった路線である。
現在の東武鉄道の本線格は浅草から伊勢崎までの伊勢崎線であるが、
東武鉄道の最初の開業区間は1899年8月に開業した北千住から久喜までだった。
しかし東武鉄道は最初から吾妻橋を起点に考えていたようで、
さらには越中島までの延伸計画もあったが、なかなか認可が下りなかった。
1902年4月1日にようやく吾妻橋までの延伸が許可された。
この延伸の時に同時に申請されたのが曳舟から分岐して亀戸までの支線であり、
1904年4月5日に開業して亀戸から総武鉄道(現・JR総武線)に入り両国まで乗り入れていた。
これによって曳舟から吾妻橋までの区間は廃止された。
両国が東武鉄道にとっても起点駅となったのだが、
1907年9月1日に総武鉄道が国有化されると再び起点を吾妻橋に戻し、
旧吾妻橋(現・とうきょうスカイツリー)を起点として駅名を「浅草」とし、
1910年3月に旅客営業を再開、これに伴って総武線への乗り入れは中止された。
現在の起点の浅草への乗り入れは京成電鉄と競合した。
京成電鉄は自社に有利に免許が交付されるように政界工作し、
それが発覚して社長が逮捕されるなどの事件となった。
京成電鉄はこのことにより浅草乗り入れを断念して、
東武鉄道が1931年5月に旧浅草を業平橋に改称、浅草雷門(現・浅草)まで開業させた。
業平橋は東京スカイツリー開業に合わせ、2012年3月17日に改称された。
亀戸線は1828年4月15日に電化されたが、
この時同時に中間駅として亀戸水神が開業したが、現在地よりやや南西になった。
戦時中の1945年3月10日に休止された北十間が、
戦後の1946年12月5日に正式に廃止され、亀戸水神と統合、現在地に移転した。
駅名の由来となった亀戸水神宮は約200mの距離にある。


画像 dd20525
撮影時刻 2014/07/06 07:47:47



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