1465.JR和歌山線橋本駅
JR橋本駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する和歌山線の駅である。
また南海電鉄高野線も接続しており、島式1面2線のホームを有する。
橋上駅舎化され、JR和歌山線と南海高野線の改札は分離されているが、番線は連続している。
1番線はJR和歌山線下り、2番線、3番線はJR和歌山線上りが使用、
橋本で折り返す始発下り列車は2番線を使用する。
南海高野線は4番線、5番線を使用、上下線でホームを区別しない。
和歌山線は87.5kmの営業距離の単線直流電化された地方交通線である。
王寺から高田までは大阪鉄道によって敷設、
高田から五条までは南和鉄道が敷設、五条から和歌山までは紀和鉄道が敷設した。
1900年6月6日には大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡、
1904年8月27日には紀和鉄道、同年12月9日には南和鉄道が関西鉄道に路線を譲渡、
鉄道国有法により1907年10月1日に関西鉄道が国有化され、
1909年10月12日の路線名称制定により王寺から和歌山市までが和歌山線となる。
1972年3月15日には紀和から和歌山市が紀勢本線に編入された。
一方、南海電鉄高野線は堺から高野山への参詣鉄道として高野鉄道が敷設した路線で、
1898年1月30日に大小路(現・堺東)から狭山までの区間を開業させたのに始まる。
道頓堀(現・汐見橋)から長野(現・河内長野)まで敷設したところで、
東武鉄道の再建に関わった根津嘉一郎の出資で出来た高野登山鉄道が事業を継承する。
三日市町まで延伸工事が進んだところで社名を大阪高野鉄道に変更、
1922年9月6日に南海鉄道が大阪高野鉄道を合併、高野線となる。
しかし橋本から高野山までの免許を失ったことから南海鉄道は、
1925年3月28日に高野山電気鉄道が設立して免許を再度買収、
1929年2月21日に極楽橋まで延伸して全通した。
戦時中の1944年6月1日に南海鉄道と関西急行鉄道も合併して近畿日本鉄道となった。
しかし戦後の1947年6月1日に南海鉄道の路線は近鉄から分離、
この時、高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更の上、
旧南海鉄道の路線の譲渡を受けて、南海線とした。
設立の経緯から南海高野線は橋本を境に路線の様相が変化する。
画像 dd21139
撮影時刻 2014/12/23 13:53:45
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