1479.JR予讃線伊予和気駅
JR伊予和気駅は相対式2面2線の地上ホームを有する予讃線の駅である。
駅舎側は1番線に付番で2番線とは跨線橋で結ばれている。
1番線、2番線で上下線の区別はなく、基本的には駅舎側の1番線が使用される。
上下線で交換や特急通過などの場合、1番線が通過線、2番線が待避線となる。
予讃線は伊予国と讃岐国を繋ぐ鉄道路線として讃岐鉄道により敷設が開始された。
1889年5月23日に丸亀から多度津を経て琴平までの区間が敷設、
1897年2月21日には丸亀から高松まで延伸された。
讃岐鉄道は1904年12月1日に山陽鉄道に買収されたが、
1906年12月1日には山陽鉄道も国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定により敷設路線が讃岐線とされた。
国有化後も延伸され、1913年12月20日には多度津から観音寺まで延伸、
1916年4月1日には川之江まで延伸、1917年9月16日には伊予三島まで延伸、
1919年9月1日には伊予土居まで延伸、1923年5月1日には伊予西条まで延伸、
1923年5月1日には壬生川まで延伸し同時に讃岐線から讃予線に改称された。
同年10月1日には伊予三芳まで延伸、同年12月21日には伊予桜井まで延伸した。
その後も延伸は続き1924年2月11日には今治まで延伸、
同年12月1日には伊予大井(元・大西)まで延伸、
1925年6月21日には菊間まで延伸、1926年3月28日には伊予西条まで延伸、
1927年4月3日には松山まで延伸、この時伊予和気も同時に開業した。
1930年2月27日には南郡中(元・伊予市)まで延伸、
同年4月1日に開業区間を予讃線に改称した。
1932年12月1日には伊予上灘まで延伸、
1933年8月1日には予讃線は予讃本線に改称された。
1935年6月9日には下灘までの区間が延伸開業した。
下灘から八幡浜までは愛媛鉄道によって敷設が開始された。
1918年2月14日には長浜町(元・伊予長浜)から伊予大洲までの区間が部分開業した。
しかし愛媛鉄道は1933年10月1日に国有化され、愛媛線となった。
国有化後も延伸工事は続き、1935年10月6日に伊予長浜から下灘まで延伸、
愛媛線は改軌して下灘で予讃本線と直通、愛媛線は予讃線に編入された。
同年11月28日には多度津から阿波池田までの区間が分離され土讃線に編入された。
1936年9月19日には伊予大洲から伊予平野まで延伸、
1939年2月6日には八幡浜まで延伸された。
八幡浜から宇和島までの区間は宇和島鉄道によって敷設が開始された。
1914年10月18日には宇和島から近永までの現在の予土線の区間が開業、
1933年8月1日に宇和島鉄道は国有化され、宇和島線とされた。
1941年7月2日に北宇和島から卯之町まで敷設され、
戦時中の1945年6月20日に八幡浜まで延伸され予讃本線と接続、
宇和島線の北宇和島から八幡浜までの区間も予讃本線に編入された。
国鉄分割民営化後にJR四国の所属となり、
1988年6月1日のJR四国線路名称改正により予讃線となった。
1988年4月11日に利用客の煙草の火の不始末で駅舎が全焼、
現在の駅舎が完成したのは1990年になってからである。
画像 dd21243
撮影時刻 2015/01/09 14:44:08
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