1510.近畿日本鉄道吉野駅
近畿日本鉄道吉野駅は櫛形3面4線の地上ホームを有する吉野線の駅である。
主に1番線は特急、2番線、3番線は特急と急行が使用、4番線は普通列車が使用する。
1番線は2番線列車の降車ホーム、4番線は3番線列車の降車ホームとしても使用される。
吉野線終着駅であるとともに、吉野大峯ケーブル自動車が運営する吉野ロープウェイに接続する。
吉野山は桜の名所としても知られており、吉野ロープウェイ千本口駅と近接している。
吉野線は吉野軽便鉄道が敷設した路線で、南和鉄道の葛(現・吉野口)を起点とし、
下市口を中間駅として終着の吉野(現・六田)まで11.6kmが狭軌で敷設された。
開業翌年には会社名を吉野鉄道に変更、国鉄桜井線畝傍に接続させるため、
1923年12月5日に吉野口から橿原神宮までの区間が開業、
また吉野山麓方方面も延伸工事が進み、
1928年3月25日には現在の吉野まで延伸、旧吉野は六田に改称された。
翌年、1929年8月1日には大阪電気鉄道が吉野鉄道を合併、
大阪電気鉄道は1941年3月15日に参宮急行鉄道と合併、
戦時中の1944年6月1日に関西急行鉄道は南海鉄道と合併、
この時社名を近畿日本鉄道に変更している。
駅前には天武天皇の歌碑があり、万葉仮名で以下のように書かれている。
天武天皇 淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見與 良人四未三 孝書
また隣には立て札が経っており、以下のように書かれている。
天武天皇 吉野の宮に
幸しし時の御製歌
よき人の よしとよく見て よしと言ひし
芳野よく見よ よき人よく見
万葉集(巻一 二七)
昔のよい人が よい所だと よく見て
よいと言った 吉野を よく見なさい
よい人よ よく見なさい
揮毫 文学博士 文化功労者 犬養孝
天武天皇は壬申の乱で兄の天智天皇の子である大友皇子を武力で滅ぼし即位していたため、
自分の子供たちには皇位継承で争いごとを起こさないように、
吉野に行幸して自分の皇子たちにそれを誓わせたのだろう。
画像 dd21464
撮影時刻 2015/05/22 11:20:27
吉野ロープウェイ千本口駅。 画像 dd21463 撮影時刻 2015/05/22 11:18:35 |
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天武天皇の歌碑。 画像 dd21461 撮影時刻 2015/05/22 11:16:55 |
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