159.JR磐越西線会津若松駅
JR会津若松駅は磐越西線の駅であり、また只見線の起点の駅でもある。
頭端式2面3線と島式1面2線のホームを有する地上駅で、1番線から3番線までは平面移動が可能である。
また5番線には只見線西若松で接続している会津鉄道会津線が乗り入れている。
磐越西線がスイッチバックしているために頭端式が採用されている。
1899年7月15日に岩越鉄道の「若松」として開業し、1906年11月1日に国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定で磐越西線の所属となる。
1917年5月21日に「会津若松」に改称された。
只見線が建設されたのは1926年10月15日で、当時は会津線の名称だった。
現在の駅舎は2001年からである。
会津若松は白虎隊で有名で、駅前には「白虎隊士の像」が設置されている。
改札の外には蒲生氏郷についての掲示がある。
蒲生氏郷(1556~1595)
氏郷は、近江(現在の滋賀県)に生まれました。
幼い頃に織田信長に才能を認められ、
いくさでも次々と戦功をあげました。
やがてこの地の領主となった氏郷は、
町並みの整備や産業をおこしたり、
また町の名前を「若松」とし、初めて天守閣も建てました。
このときの天守は七層だったと言われています。
茶人としてやキリシタン大名としても有名で、
また武将としても、東北各地の平定に力を尽くしましたが、
40歳という若さで急死してしまいました。
彼の子の秀行が継ぎますが、激動の戦国の世の中で、
三代の忠郷で蒲生家は途絶えてしまいました。
蒲生氏郷は織田信長の娘、冬姫と結婚し、
その息子の秀行は徳川家康の娘、振姫を妻に迎えて忠郷が誕生した。
蒲生氏は三代で途絶えたが、今でも会津地方の英雄として伝えられているようである。
画像 de2328
撮影時刻 2001/11/24 13:56:23
駅前広場にある白虎隊士の像。 画像 de2329 撮影時刻 2001/11/24 13:56:44 |
REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2002-2009