1591.東急電鉄日吉駅



東急電鉄日吉駅は島式2面4線の地上ホームを有する東横線の駅である。
路線上は東横線のみだが、目黒線も東横線乗り入れで接続する。
1番線は東横線下り、2番線は目黒線降車専用、
3番線は目黒線上り、4番線は東横線上りが使用する。
画像は東口で、ホームは改良工事のあと実質的に半地下化されている。
東急東横線は1926年(大正15年)2月14日に、
東京横浜電鉄が丸子多摩川(現・多摩川)−神奈川(現在廃止)間を開業したのが始めで、
1927年8月28日に渋谷−丸子多摩川間が開業した時に“東横線”と改称された。
1928年には高島町まで延伸、1932年には桜木町まで延伸され、全線開業した。
1939年10月1日に東京急行電鉄が目黒蒲田電鉄と合併した。
目黒蒲田電鉄はもともと渋沢栄一が田園調布の開発のために設立した田園都市株式会社が、
1922年(大正11年)9月に鉄道部門を独立分離させたのが始まりで、
その名の通り、1923年に目黒−蒲田間の目蒲線(現・目黒線と東急多摩川線)を開業させた。
1934年10月1日には現在の池上線を開業させた池上電気鉄道を合併、
1939年の東京横浜電鉄との合併により、東京急行電鉄に改称された。
これらの合併には鉄道院課長から武蔵電気鉄道(後の東京横浜電鉄)へ転職した五島慶太の力が大きい。
1942年5月26日には戦時体制維持のための陸上交通事業調整法により、
小田急電鉄、京浜電鉄(現・京浜急行電鉄)などを合併し、“大東急”時代を迎える。
戦時中の1943年には相模鉄道の運営を受託、
1944年5月31日には京王帝都電鉄(現・京王電鉄)を合併している。
戦後、過度経済力集中排除法が施行され、五島慶太が公職追放に、相模鉄道の運営受託を解消、
1948年には小田急電鉄、京浜急行電鉄、
京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が東急から独立して現在の形になった。
余談だが、復帰した五島慶太が多摩田園都市構想を提唱し、田園都市線が開設された。
2004年1月30日終電で横浜−桜木町間の2.1kmの営業を終了し、
翌々日の2月1日には横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通を開始した。
全区間が地下路線の横浜高速鉄道みなとみらい線との連結をわずか丸一日で完了させたのである。
横浜高速鉄道みなとみらい線は横浜から地下路線に入り、
元町・中華街駅(山下公園)までの0.9kmを営業する第三セクターである。
正式名称「東京急行電鉄株式会社」の略称として公式には「東京急行」、
一般的には更に略して「東急」といわれていたが、
2006年1月1日より「東急電鉄」に変更になった。


画像 dd22193
撮影時刻 2016/02/27 13:23:56

東急電鉄日吉駅西口。


画像 dd22195
撮影時刻 2016/02/27 13:25:52




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