1685.JR関西本線柘植駅
JR柘植駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する関西本線の駅である。
また柘植を起点とする草津線も分岐している。
単式ホームは1番線に付番され、関西本線下りが使用、
島式ホームの2番線は関西本線上り、3番線は草津線が使用する。
ただ、一部には関西本線下りや草津線が2番線、
また関西本線上りが3番線を使用することもある。
単式ホームと島式ホームは跨線橋で結ばれている。
関西本線は関西鉄道が敷設した路線で、
1890年2月19日に三雲から柘植までを敷設したのに始まり、
この時終着駅として開業した。
同年12月25日に柘植から四日市まで延伸、
1894年7月5日には桑名まで延伸、
名古屋側からは1895年5月24日に名古屋から前ヶ須(現・弥富)まで開業、
同年11月7日に弥富から桑名までの区間が開業、名古屋から草津までが全通した。
支線として1897年1月15日に柘植から上野(現・伊賀上野)までが開業、
同年11月11日に上野から加茂までが延伸、
1898年4月19日に大仏(現・廃止)まで延伸、
この時名古屋から加茂までが本線、柘植から草津までを支線に変更、
1899年5月21日に奈良まで延伸した。
木津から奈良までを奈良鉄道、
奈良から湊町(現・JR難波)までは大阪鉄道が敷設、
1907年10月1日に関西鉄道が国有化され、
1909年10月12日に線路名称制定により、
名古屋から湊町までが関西本線に制定された。
駅前の松尾芭蕉の句碑があり、以下のように書かれている。
手にとらば 消えん泪ぞ熱き 秋の霜
貞享元年(一六八四年)、芭蕉四十一歳の作。
『野ざらし紀行』所収。季語は「秋の霜」で秋。
この句の前書に、「長月の初故郷に帰りて、
北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。
何事も昔に替りて、はらからの鬢白く眉皺寄りて、
只命有てとのみ云て言葉はなきに、(後略)」とある。
長月は陰暦九月。北堂は母の居室、
萱草(わすれぐさ)はその庭に植えられたもの。
「霜枯果て・・・」は、
芭蕉の母がすでに天和三年(一六八三年)に死去したことをさす。
はらからは、兄弟のことである。
句意は、「母の遺髪を手にとると、
わが熱い涙のしずくで、
それは秋の霜のように消え去るだろう。」の意である。
文字は、天理大学附属天理図書館所蔵『野ざらし紀行』より複写
画像 dd23397
撮影時刻 2017/07/29 09:51:29
駅前の松尾芭蕉の句碑。 画像 dd23401 撮影時刻 2017/07/29 10:13:24 |
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