1928.養老鉄道養老駅



養老駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する養老鉄道養老線の駅である。
駅舎と隣接する単式ホーム1番線は下り大垣方面が使用、
島式ホーム2番線は上り桑名方面が使用する。
3番線は上下線の当駅折り返し始発列車が使用する。
単式ホームと島式ホームとは構内踏切で結ばれている。
養老鉄道は近鉄グループホールディングス傘下の鉄道事業会社で、
2007年2月14日に近畿日本鉄道全額出資により設立された。
同年6月27日に近鉄養老線の第二種鉄道事業が認可され、
同年10月1日に近畿日本鉄道より養老線を引き継ぎ運営を開始した。
近畿日本鉄道は第三種鉄道事業者として線路などの施設や車両を保有し、
養老鉄道が第二種鉄道事業者として列車を運行する。
2017年2月1日には沿線自治体の基金拠出により、
一般社団法人養老線管理機構が設立され、
近鉄から鉄道用地を借り入れ、車両は譲渡された。
2018年1月1日に公有民営方式へ移行した。
これにより養老線管理機構が第三種鉄道事業者となって車両や設備を所有し、
養老鉄道が第二種鉄道事業者となって鉄道事業を継続する。
現時点での主要株主は近畿日本鉄道が95.24%、養老線管理機構が4.76%である。
養老線は桑名から大垣でスイッチバックして揖斐までの57.5kmの区間である。
養老に駅が出来たのは1913年7月31日で、
後の近鉄養老線の前進となる養老鉄道が養老から池野の区間を敷設した時、
起点駅として開業したのに始まる。
1922年6月13日に桑名から養老までの区間が開業、
これに伴って養老は途中駅となった。
初代の養老鉄道は1922年6月13日に揖斐川電気に合併、
1928年4月6日に揖斐川電気が鉄道事業を分社化、養老電気鉄道となる。
養老電気鉄道は1929年10月1日に伊勢電気鉄道に合併、
しかし1936年5月20日に再び分社化され、養老電鉄となった。
養老電鉄は1940年8月1日に参宮急行電鉄に合併、
1941年3月15日に大阪電気鉄道と参宮急行電鉄が合併、
関西急行電鉄となり、1944年6月1日には南海鉄道と合併、
近畿日本鉄道が誕生した。
駅前には「源丞内の像」が設置されていた。
説明書きには、

   孝子源丞内のお話

  昔、元正天皇の御時、美濃の国に貧しい男がいました。
 この男は山から薪を取って来て、それを売って年をとった父を養っていました。
 この父は、大へんお酒が好きだったので、
 男は「ひょうたん」をこしにつけていて帰りにお酒を買って来ては父を喜ばしていました。
  ある日、山の中でこけの生えた石にすべって、うつむけに転んでしまいました。
 するとどこかからか酒のにおいがするので、ふしぎに思ってあたりを見まわすと、
 石の間からお酒ににた水がわいていました。
  汲んでなめてみると、たいへんおいしいお酒の味がします。
 男は喜んで毎日このお酒を汲んで持ち帰り、父を喜ばしていました。
  このことはやがて元正天皇のお耳に入り、わざわざ養老へおこしになりました。
 そのお酒の出るところをごらんになって「これは感心な親孝行を神さまがおほめになり、
 お酒をおさずけになったにちがいない」とおほめになりました。
 そして年号を「養老」とお改めになり「養老の瀧」と名付けられ、
 この男を「美濃の守」という役人におとりたてになりました。

と書かれていた。
駅の看板も瓢箪で形づけられており、
ホームにも瓢箪が吊り下げられている。


画像 dd27751
撮影日時 2022/10/09 9:03:32

駅前の孝子源丞内の像


画像 dd27753
撮影日時 2022/10/09 9:08:02




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