285.JR信越本線横川駅




JRは信越本線の駅であり、かつてはここから軽井沢まで線路が延びていたが、
長野新幹線開業と同時に信越本線横川軽井沢間が廃止されたため、信越本線が分断されることとなり、
高崎から延びる信越本線は信越本線としては途中駅でありながら、実際には終着駅になっている。
相対式2面2線の中間に中線がある2面3線の駅である。
横川駅は1885年10月15日に官設鉄道高崎−横川間が開業したのに伴い、終着駅として開業した。
官設鉄道は翌年1886年8月15日に直江津から関山まで開通させ、1888年5月1日に長野、同年8月15日には上田まで延伸した。
1888年12月1日には軽井沢まで延伸したが、横川−軽井沢間には碓氷峠があり、
この年に碓氷馬車鉄道が開通していた。
横川−軽井沢間に鉄道が敷設されたのは1893年4月1日で、開業当初はアプト式鉄道が採用された。
アプト式鉄道とは2本のレールの中央に歯車形のレールを置き、
車両の床下に設置された歯車と噛み合わせて急勾配を登り降りするラック式鉄道の形式の一つで、
そのため車両も特別なものが必要となってくる。
アプト式鉄道の開通によって碓氷馬車鉄道は廃止された。
当初はアプト式機関車による牽引だったが、1912年5月11日に電化され、アプト式電気機関車が投入された。
戦後になってEF63型電気機関車が開発され、アプト式から粘着運転方式への切り替えが行われ、
1963年7月15日に開業した新線により横川−軽井沢間が結ばれた。
完全切り替えは同年9月30日からである。
横川−軽井沢間の碓氷峠を通過する車両はEF63型電気機関車と協調運転をするための装置が備えられた専用の車両が使用され、
EF63型電気機関車が重連で横川側に連結され、
登りの場合は下から押し上げる形で、下りの場合は前方のブレーキになる形で66.7‰という急勾配を凌いだ。
しかしこの協調運転も1997年10月1日に長野新幹線が開通すると軽井沢へのアクセスを長野新幹線に譲り、
信越本線横川軽井沢間は廃止され、軽井沢−篠ノ井間は分離され、第三セクターのしなの鉄道が引き継いだ。
ここに横川駅は開業当初と同じの高崎からの路線の終着駅にとなってしまった。
かつては碓氷峠越えのための機関車の拠点として横川機関区があったが、今は「碓氷峠鉄道文化むら」という鉄道保存施設となっている。
ここはかつての信越本線の線路が一部残されており、研修を受ければEF63型電気機関車の実機を実際に運転できるサービスも行われている。


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撮影時刻 2003/04/20 14:48:07

横川駅のホームと車止め。
嘗てはここから碓氷峠を通り、
軽井沢まで線路が延びていた。


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撮影時刻 2003/04/20 14:55:21
碓氷峠鉄道文化むら。


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撮影時刻 2003/09/14 16:06:15




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