321.JR仙石線福田町駅




JR仙石線はその名の通り仙台と石巻を結ぶ路線で、仙台の隣のあおば通から石巻までの50.2km、31駅の路線である。
あおば通から陸前原ノ町を出るまでは近く間を走っていて、仙台でも東北本線や常磐線、仙山線と全く線路は繋がっていない。
仙石線は直流区間であるため、たとえ線路が繋がっていたとしても東北本線の多くは交流車両の為に乗り入れることが出来ないが・・・。
あおば通から東塩釜までは複線だがそこから先は単線区間になる。
仙石線は宮城電気鉄道として仙台−西塩釜間が1925年6月5日に開業した。
翌年4月14日には本塩釜まで延伸、更に翌年の4月18日には松島公園(現・松島海岸)まで延伸、
更にその翌年4月10日には陸前小野まで延伸した。
陸前小野まで延伸した11928年の11月22日には宮電石巻(現・石巻)間での延伸が完了し、全線開通した。
戦時中の1944年に国有化され、国鉄仙石線となる。
2000年3月11日には仙台−陸前原ノ町間の地下化と仙台からあおば通延伸が完了して現在の運行スタイルとなる。
福田町は地上島式1面2線のホームを有する駅で、駅舎機能は橋上に有し、南北自由通路にもなっている。
駅近くには仙台車両センター宮城野派出所(旧・宮城野電車区)があり、103系や205系3100番台が見受けられる。
駅に設置されている駅名由来には以下のように書かれている。

    福田町駅の駅名由来

  正保二年(一六四五)、仙台藩二代藩主・忠宗侯は、海岸防備と城下町火災の消火活動のため、
 直参足軽二組四十八名をこの地に組織しました。忠宗侯の巡視のとき、まだ地名がなかったため、
 福室と田子に接していることから『福田町』と命名されたといいます。
 福田町の足軽たちは、岩切の今市、長町の諏訪とともに『三町足軽』と呼ばれ、仙台藩直参であることを誇りにしていました。
 彼らは兵農を兼ね、月に十日は武芸を、二十日は知行田を耕作して、
 城下の火災に出動したり、また海岸防備や貞山堀の年貢米輸送の警護にあたっていました。
 農民が彼らの前を通るときは頬かむりを取って歩き、また、湊浜の馬子たちは魚を置いていったとか。
 豪傑揃いの足軽たちであったと伝えられています。
 
  この地名の由来を受けて、大正十四年(一九二五)六月五日、
 宮城電気鉄道(現在の仙石綿)の仙台〜西塩釜間開通の時、福田町駅が開業しました。


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撮影時刻 2003/05/18 11:29:06

JR福田町北口。


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撮影時刻 2003/05/18 11:32:11




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