331.JR山手線恵比寿駅
JR恵比寿駅は島式2麺4線の高架ホームを有する山手線の駅である。
また山手貨物線を利用した埼京線、湘南新宿ラインも停車する。
1番線は山手線外回り新宿方面、2番線は内回り東京方面が使用、
3番線は埼京線北行大宮方面、湘南新宿ライン北行宇都宮、高崎方面、
4番線は埼京線南行大崎およびりんかい線、相鉄線直通列車、
湘南新宿ライン南行、小田原、逗子方面が使用する。
山手線は品川を起点、田端を終点とする20.6kmの鉄道路線である。
上下線の旅客線のほか、上下線の貨物線を有する複々線の路線である。
現在ではこの山手貨物線東北本線と東海道本線を結ぶ貨物線であるが、
この区間を利用して埼京線や湘南新宿ラインの旅客列車が運行されている。
山手線は東海道本線の支線扱いである。
運転系統的には路線としての山手線に加え、
東京から品川までの東海道本線、
東京から田端までの東北本線にそれぞれ専用線を設け、
複線で環状運転が行われている。
東京駅を含めて環状運転されているため、
上り、下りの区別が不可能であることから、
環状線の内側を走る運転方向を内回り、外側は外回りと称する。
東京駅を起点に考えると上野方面を内回り、品川方面を外回りと呼ぶ。
山手線が最初に敷設したのは1881年に設立された日本鉄道で、
この日本鉄道は東京から青森までの鉄道線を接することを目的に設立された。
この計画路線が現在の東北本線である。
日本鉄道は更に自社路線と官設鉄道(現・東海道本線)を繋ぐべく、
官設鉄道品川から日本鉄道赤羽までの連絡線を、
1885年3月1日に敷設、路線名を品川線とした。
開業時の中間駅は渋谷、新宿、板橋のみであった。
同年3月16日には遅れて目黒、目白が開業した。
日本鉄道はもうひとつの自社路線である土浦線(のちの海岸線、現・常磐線)からも、
官設鉄道への乗り入れを模索していた。
起点の上野まで乗り入れず、直接品が保線にアクセスするため、
1896年4月1日に日本鉄道田端が開業、
同年12月25日には南千住から分岐して田端にアクセスする貨物専用線を敷設した。
また品川線池袋信号所から田端までの短絡線、路線名豊島線とも建設が開始された。
日本鉄道は1901年8月8日に品川線と建設中の豊島線を統合し、山手線とした。
豊島線として建設された短絡線は1903年4月1日に開業、
これに合わせて池袋信号所が駅に昇格した。
こうして現在の品川から田端までの区間が開業した。
日本鉄道は1906年11月1日に国有化された。
東京駅が開業したのは1914年12月20日で、
日本鉄道時代の東北本線起点駅上野から、
貨物専用線の秋葉原までは1890年11月1日に開業していたが、
1925年11月1日には神田から上野までが開通、
貨物駅だった秋葉原も旅客営業を開始、山手線が環状運転を開始した。
恵比寿はもともとこの地にあった日本麦酒の工場で生産されたビールを出荷するために、
1901年2月25日にビール専用の貨物駅として開業した。
1906年4月16日に渋谷側に約300m移転、同年10月30日に旅客営業が開始された。
「日本麦酒」は現在輸入ビールを扱う「日本ビール」とは別会社で、
1887年に創業した「ヱビスビール」のブランドを出したビール会社である。
この会社は1889年に創業した「アサヒビール」ブランドを発売する大阪麦酒、
官営ビール醸造所の払い下げを受けて1888年に創業した、
「サッポロビール」のブランドを発売する札幌麦酒と、
1906年に合併し、大日本麦酒となった。
戦後、過度経済力集中排除法によりこの会社は朝日麦酒と日本麦酒に分割され、
日本麦酒は「サッポロ」と「ヱビス」のブランドを継承し、
1964年にサッポロビールに社名変更された。
「ヱビス」ブランドのビールを出荷していた駅ということから駅名も恵比寿になり、
1996年年3月16日埼京線延伸時にも駅が設置された。
恵比寿駅開業後にこの付近が恵比寿と呼ばれるようになり、後に正式な地名になった。
サッポロビールの恵比寿工場は千葉県船橋市の埋め立て地に移転し、
跡地を再開発して恵比寿ガーデンプレイスが誕生した。
画像 dd25649
撮影日時 2020/07/12 10:15:26
恵比寿駅ビル全景。 画像 dd25650 撮影日時 2020/07/12 10:18:32 |
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