338.京成電鉄宗吾参道駅



京成宗吾参道駅は1928年4月1日開業の地上2面3線の駅で、
上野方の駅南側に宗吾車庫と宗吾検車区があるため宗吾参道発着の編成も多く1番線は入出庫線となっている。
開業当時は「宗吾」という駅名だったが、1951年7月1日に「宗吾参道」に改称された。
京成電鉄の車庫は津田沼と宗吾に別れていたが、1982年に検車区の設備が移転し、
更に1996年には高砂にあった仕立検車庫も移転し、宗吾に統合されている。
この移転には成田空港延伸が空港開港の遅れで大幅の赤字に転落し、
売れる資産は極力売るという京成電鉄の切羽詰まった経営状況も影響しているものと思われる。
駅名の「宗吾参道」はその名の通り、駅より北に約1.2kmの距離にある宗吾霊道への参道にある駅であり、
宗吾霊道には義民として名高い佐倉宗吾こと木内惣五郎の墓がある。
また駅の南側には「酒々井ちびっこ天国」というプール施設をもつアミューズメントがある。
宗吾霊道への参道の入り口には街によって設置された「義民佐倉宗吾様と宗吾霊堂」というタイル張りの案内があり、
「平成2年度マイロード事業によって宗善参道を改良整備するにあたり
 地域の特性を活した『義民の里に、ふれあいあふれる道づくり』をテーマとして実施したので標題について説明します。
 我が国の代表的な義民である佐倉宗吾様は、本名を木内惣五郎といい、
 慶長17年(1612年)下総国印旛郡公津村台方(現在成田市台方)に生れ育ちました。
 当時割本名主であった惣五郎は打ち続く凶作と苛酷な重税に苦しむ領民を救うため苦心惨たんして
 国家老や藩主に嘆願しましたが聞き入れられず遂に死を覚悟し、
 家族に後難が及ばぬよう離縁状を差し出して徳川四代将軍家綱公に直訴を決行しました。
 このことによって領民の窮状は救われましたが、
 直訴の罪に問われて捕えられ助命嘆願も空しく4人の子供とともに公津ヶ原で処刑されました。
 時に承応2年(1653年)8月3日42才の時でありました。
 それ以来惣五郎は、農民の神様と崇められ今日なお香華の絶える日はありません。
 後に失政を悔いた佐倉藩は、宗吾道閑居士の法号をおくり手厚く冥福を祈ったことから
 佐倉宗吾様と呼ばれるようになり義民佐倉宗吾様の名は全国に知れ渡りました。
 その御魂を祀る鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂はこれより参道を経て北東の方向1キロに位置し徒歩約15分で行きます。」と書かれている。


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撮影時刻 2003/06/14 10:14:39

京成宗吾参道駅南口。


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撮影時刻 2003/06/14 10:17:14


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