371.上田電鉄上田原駅
上田交通別所線はしなの鉄道(旧・信越本線)上田から別所温泉までを結ぶ地方鉄道で、
現在は上田交通から分社化された上田電鉄の経営路線だが、取材時は分社化前だったため上田交通の路線とした。
現在上田交通は不動産事業を直営し、別所線のほか、バス、タクシー、ホテルなどの事業は分社化している。
上田交通の創立は1916年(大正5年)の丸子鉄道に始まり、
1918年11月21日には大屋−丸子町間が開業し、1925年8月1日には上田東まで延伸する。
一方で1920年1月5日に上田温泉電気軌道が設立され、同年11月には上田温泉電軌に社名変更し、
翌年には三好町−青木間の温電青木線、上田原−信濃別所間の業川西線が開業する。
1924年には千曲川鉄橋が漸く完成し、両路線が上田まで乗り入れる。
1926年8月12日に下之郷−西丸子間の温電依田窪線が開業し、
1927年11月20日には上田−伊勢山間の温電北東線が開業、1928年1月10日には本原まで延伸、
1928年5月1日には真田まで延伸し、温電北東線は全通した。
この段階で上田温泉電軌は、 川西線、依田窪線、青木線、東北線の4路線を所有していたが、
1938年7月25日には青木線が廃止、翌年には川西線、依田窪線が軌道法から地方鉄道法による鉄道に変更し、
川西線を別所線、依田窪線を西丸子線、北東線を菅平鹿沢線に改称した。
上田温泉電軌は1939年9月1日に上田電鉄と社名変更された。
戦時中の1943年(昭和18年)10月21日には上田電鉄と丸子鉄道が合併し、上田丸子電鉄となる。
丸子鉄道の所有路線は丸子線とされた。
経営安定のため1958年(昭和33年)には東京急行電鉄の系列下に入った。
1960年4月1日には菅平鹿沢線が真田傍陽線と名称変更しされた。
1961年6月29日には西丸子線が豪雨被害により運休し、1961年11月1日に廃止された。
1969年4月20日には丸子線が廃止、1972年2月20日には真田傍陽線が廃止され、別所線のみが所有路線として残った。
1969年5月31日には上田交通に社名変更した。
1973年には別所線も廃止の方針が打ち出されたが、地元の存続運動や補助金交付などで存続し、
2005年10月3日には上田交通の鉄道部門が分社化され上田電鉄の社名が復活、
100%持ち株子会社として再スタートした。
しかし経営状態はいいとはいえず国土交通省の地方鉄道安全新基準を満たすために再び存続問題が浮上している。
上田原駅は島式1面2線の上下線交換の可能な駅で、
かつては上田原車両基地があり、その時は駅員配置駅だったが、現在では無人駅となっている。
1921年(大正10年)6月17日、上田温泉電軌により青木線の中間駅として、また川西線の分岐駅として開業した。
1938年には青木線廃止により川西線の駅となり、1939年には別所線の駅となった。
画像 de8640
撮影時刻 2003/07/27 09:28:42
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