462.あいの風とやま鉄道高岡駅



JR高岡駅はあいの風とやま鉄道あいの風とやま鉄道線の駅であり、
また高岡から城端までを結ぶJR城端線、氷見までを結ぶJR氷見線の始発駅でもある。
その設立の経緯からJRとしては高岡駅は城端線の所属駅となっている。
高岡はJR北陸本線の所属だったが、北陸本線の金沢延伸により並行在来線がJRから分離され、
北陸本線のうち富山県内の区間があいの風とやま鉄道に移管された。
単式1面1線と島式3面6線の計4面7線構造の地上ホームを有している。
1番線は城端線下り城端方面が使用、
2番線は城端線から直通のあいの風とやま鉄道線下り富山方面が使用、
3番線、4番線はあいの風とやま鉄道線上り石動方面が使用、3番線は一部下りも使用、
5番線はあいの風とやま鉄道線下り富山方面が使用、
6番線、7番線は氷見線下り氷見方面が使用する。
画像は古城公園口で、こちら側に万葉線高岡駅電停が駅舎内に入る。
かつては南北に駅舎があったが、2011年8月28日に橋上駅舎化され、
2014年3月29日に高岡駅ステーションビル「Curun TAKAOKA」が開業、
これに併せて万葉線高岡駅前電停が廃止され、高岡駅電停まで0.1km延伸された。
万葉線は高岡市、新湊市が中心となって設立した第三セクターで、
廃止が決まった加越能鉄道が所有する高岡軌道線、新湊港線を引き継いだ。
設立の経緯から高岡駅前から六渡寺の7.9kmは軌道線、
六渡寺から越ノ潟の4.9kmは鉄道線となっているが、ひとつの路線として運営されている。
高岡駅は富山県で初めて開業した中越鉄道によって開業した。
中越鉄道は富山県西部砺波地方から産出される米などの農産物を、
伏木港へ輸送することを主な目的として、
1895年4月25日に地元地主などが中心となって設立された。
現在の城端線の一部である1897年5月4日に黒田仮停車場から福野までの区間が開業、
同年8月18日に福光まで延伸、同年10月31日に城端まで延伸、
1898年1月2日に黒田仮停車場が廃止され、高岡まで延伸された。
1900年12月29日には現在の氷見線の一部である高岡から伏見が開業、
1912年4月4日に伏見から島尾まで延伸、同年9月19日に氷見まで延伸した。
しかし高岡に最初に駅を造ったのは官設鉄道北陸線で、
1898年11月1日に金沢から高岡まで延伸した時に終着駅として開業した。
翌年1899年3月20日に官設鉄道北陸線は富山まで延伸、途中駅になる。
中越鉄道は1906年に公布された鉄道国有法の対象にはならなかったが、
輸送量増加により地元の要望もあって1920年9月1日に国有化された。
高岡から城端までが城端線、高岡から氷見までが氷見線となった。
駅前のロータリーには大伴家持が花を摘む少女達を見て歌を詠んでいる銅像が建っており、
そこには以下のような解説が付いている。
「かたかごの花をよぢ折る歌

  もののふの八十(やそ)をとめらが
    悒みまがふ
  寺井の上の
    かたかごの花

大伴家持卿

大伴家持卿は、日本最古で最大の歌集「万葉集」の代表的な歌人であり、
その編纂に深い関係があるとされている。
天平十八年(七四六)から天平勝宝三年(七五一)までの五年間、
越中国守として高岡市伏木古国府に在任し、
この間越中を中心とした豊かな風土に接して約二二〇首の歌を詠んだ。」
因みに“かたかご”とは漢字で「堅香子」と書き、片栗のことだそうである。


画像 dd23900
撮影日時 2018/04/29 9:20:20

高岡駅瑞龍寺口。


画像 dd23901
撮影日時 2018/04/29 9:24:21
JR高岡駅北口旧駅舎。


画像 dd00150
撮影時刻 2003/09/06 14:28:51
JR高岡駅南口旧駅舎。


画像 dd00140
撮影時刻 2003/09/06 13:25:44




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