463.JR北陸本線石動駅



JR石動駅は1898年11月1日の官設鉄道北陸線高岡−金沢間開業時に同時に出来た駅である。
駅前のロータリーには馬上で手綱を引く源義仲の銅像があり、更にロータリー内には源平倶利伽藍合戦の絵図がある。
源義仲(みなもとのよしなか)は平安末期の武将で、幼少時代信濃国(現・長野県)木曽で育ったことから木曽義仲ともいう。
1180年に平清盛と対立していた後白河法皇の皇子である以仁王の令旨を受けて挙兵して信濃を平定、
越後の城助茂(じょうすけもち)を千曲川横田河原の戦いで破り、西進して北陸道を進んだ。
この時関東で挙兵した源頼朝とは従兄弟同士になる。
1183年には越中国砺波山の倶利伽羅峠の戦いで平維盛(たいらのこれもり)率いる追討軍を打ち破り、同年のうちに上洛した。
京都に進軍して平氏を西走させた。
1184年には征夷大将軍となるが直ぐに源頼朝と対立し、宇田川の戦いで頼朝・義経軍に敗れて戦死した。
源平倶利伽藍合戦は治承・寿永の乱のうちのひとつで源義仲が北陸道を進軍するのに対し、平維盛が10万旗の大軍でこれを追った。
源義仲は昼間はたいした合戦もせずに平家軍に油断をさせ、
平家軍が寝静まったのを待って大きな音を立てながらこれを攻め、更に牛の角に松明をくくりつけて敵陣の中に放ったという。
これによって敵は慌てて遁走したが、源氏軍が唯一攻めてこなかったのは倶利伽羅峠の断崖絶壁で平家軍は次々に谷底に転落したという。
源平倶利伽藍合戦絵図にはその時の様子が描かれている。
余談だが治承・寿永の乱は必ずしも平家対源氏という対立図式が成立しないので、今は源平合戦とはいわないようである。


画像 dd00150
撮影時刻 2003/09/06 14:28:51

JR石動駅前ロータリーにある源義仲像。


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撮影時刻 2003/09/06 15:20:01


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