465.えちぜん鉄道福井駅



えちぜん鉄道は京福電気鉄道の越前本線、三国芦原線を引き継いで2002年7月17日に誕生した第三セクターである。
京福電気鉄道はもともと京都電燈という1888年に創立された電力会社が1914年に越前電気鉄道として福井県下に路線を敷設、
1918年には嵐山電車軌道を合併して京都府と福井県で鉄道事業に乗り出した。
何故、鉄道事業に乗り出したかというと電力会社にとって鉄道事業は安定供給先になるからで、
京都電燈が福井県下で事業を開始したのは、祇園などの夜間利用の多い京都の電力を織物工場など昼間の電力利用の多い福井に送ることによって、
昼夜の電力利用のバランスを取るためとされていて、
この京福送電線が京福電気鉄道の社名の由来にもなっている。
戦時統制により電力会社の鉄道兼営が禁じられたため京都電燈は1942年3月2日に京福電気鉄道を設立した。
京都電燈は同年4月に事業を月1日に日本発送電、関西配電、北陸配電などに譲渡し解散している。
京福電気鉄道は1942年8月1日に鞍馬電気鉄道、三国芦原電鉄を合併、1944年12月1日に永平寺鉄道、丸岡鉄道を合併している。
丸山線は廃止されたが、鞍馬線は叡山本線とともに
1986年4月1日に叡山電鉄に分離譲渡し、
京都の嵐山本線、北野線、福井の越前本線、三国芦原線、永平寺線が残った。
その後、福井地区で2000年12月17日と2001年6月24日に相次いで正面衝突事故を起こし、
国土交通省と中部運輸局福井運輸支局によ2度目の事故の翌日から全線の運行停止、バス代行を命じられた。
また7月には「安全確保に関する事業改善命令」が出された。
2000年12月17日の事故は越前本線志比堺−東古市(現・永平寺口)間で上り列車がブレーキ故障により東古市に停車できず、
さらにポイントに割り込んで上り列車と正面衝突し、上り列車の運転手が死亡した。
原因はブレーキの破損であり、また事故の直接の原因ではないが自動列車停止装置の未設置も問題となった。
2001年6月24日の事故は保田−発坂間でまた正面衝突の事故を起こした。
この事故は急行列車とすれ違いのために停車する筈の普通列車の運転手が信号を見落として出発してしまったことにあった。
この二つの事故と国土交通省からの事業改善命令などを受けて京福電鉄は事業継続を困難と判断し、廃止を決定した。
事故以前から京福電鉄は福井県内での鉄道事業からの撤退を検討しており、この事故が追い打ちをかける結果となった。
これを受けて福井市、勝山市などが出資して2002年9月17日に第三セクターのえちぜん鉄道が設立された。
2002年10月21日に永平寺線は廃止されたものの、越前本線、三国芦原線を引き継いで、
2003年8月10日に三国芦原線が全線営業再開、
越前本線は勝山永平寺線に名称が改められ、2003年10月19日に全線が営業を再開した。


画像 dd00202
撮影時刻 2003/09/07 10:14:50



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