488.くりはら田園鉄道石越駅



くりはら田園鉄道石越駅は同鉄道の単式1面1線のホームを持つ起点の駅である。
かつては有人駅だったが、2001年4月1日にから無人化された。
くりはら田園鉄道はもともと1918年12月15日に栗原軌道として設立され、
1941年12月3日に栗原鉄道に変更になった地方鉄道が始まりである。
くりはら田園鉄道線は栗原軌道として1921年12月20日に石越から沢辺まで開業し、
1922年12月17日に岩ヶ崎(現・栗駒)まで延伸した。
1941年12月3日に軌道法から地方鉄道法に変更し、社名も栗原鉄道になった。
1942年12月1日に細倉鉱山まで延伸され、採取された鉱石の貨物輸送なども行われていた。
1952年9月21日に電化され、1969年2月25日に栗原電鉄と社名が変更された。
しかし1987年3月29日に細倉鉱山が閉鎖になると細倉(現・細倉マインパーク前)−細倉鉱山間が運休となり、
同時に貨物営業も廃止になった。
1988年11月1日には正式に廃止され、終点は細倉になった。
細倉は1990年6月16日に約200m移転して駅名も細倉マインパークとなる。
細倉マインパークは細倉鉱山跡を利用して出来た“細倉鉱山の歴史と宇宙の神秘”を扱ったテーマパークである。
しかしこのテーマパーク開業によっても利用客減少にも歯止めがかからず、
親会社の三菱マテリアルと沿線自治体が話し合いを行った結果、
1995年4月1日に栗原市が中心となった地元沿線自治体で第三セクターに譲渡され、社名がくりはら田園鉄道となった。
くりはら田園鉄道に移管されると同時に運行費用を削減するために気動車を導入してワンマン運転された。
電線は撤去されたものの、電柱などは残されていた。
多くの駅を無人化し、ワンマン運転による人件費削減などにも取り組んだが、経営悪化は相変わらず続き、
2004年6月の株主総会で廃止バス転換が決定し、2007年3月31日に廃止された。
くりはら田園鉄道廃止後の跡施設利用の調査をしていた岸由一郎さんが、
2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震の犠牲になったことは記憶に新しい。


画像 dd00782
撮影時刻 2003/10/05 11:18:29



REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2009