590.JR日豊本線別府駅



JR別府駅は島式2面4線の高架ホームを有する日豊本線の駅である。
二つの島式ホームの間に2線の留置線が設置されていたが現在は撤去されている。
東口(海岸口)側のホームは1番線、2番線に付番されており、
こちらのホームが日豊本線下り方面で1番線が特急、2番線は普通列車が使用する。
隣の3番線、4番線ホームは日豊本線上りと豊肥本線直通列車が使用、
3番線は日豊本線上り普通列車と豊肥本線が直通列車が使用、
4番線は日豊本線上り特急が使用する。
現在の日豊本線のうち、小倉から行橋までは九州鉄道、
行橋から長洲(現・柳ヶ浦)までは豊洲鉄道が敷設、
豊洲鉄道は1901年9月30日に九州鉄道に合併した。
1907年7月1日に鉄道国有法によって九州鉄道は国有化され、
1909年10月12日にの線路名称制定により豊州本線となった。
国有化後も延伸工事が続けられ、1922年3月26日に重岡まで延伸している。
宮崎駅から佐土原までは宮崎県営鉄道が敷設、
1917年9月21日に国有化され、宮崎本線として重岡以南を敷設していった。
1923年12月15日に宮崎本線は重岡まで延伸し、
豊洲本線と宮崎本線を統合、小倉から吉松までの区間が日豊本線となる。
鹿児島本線新線が敷設され、旧線は肥薩線として切り離される。
また都城から西都城は志布志線の一部として、
西都城から霧島神宮までは国都東線、霧島神宮から西国分までは国都西線として敷設、
1932年12月6日に小倉から鹿児島までの区間が日豊本線となり、
隼人から吉松までは肥薩線として分離された。
別府は九州鉄道が国有化された後、1909年12月21日に宇佐まで延伸、
1910年12月15日に中山香まで、1911年3月22日に日出まで延伸、
1911年7月16日に別府まで延伸され、この時同時に開業した。
現在の駅舎は2005年2月25日にリニューアルされたものである。
駅前東口には油屋熊八の像が設置されている。
そこにはプロフィールが日本語と英語で紹介されている。
油屋熊八は1863年(文久3年)愛媛県宇和島の米問屋に生まれ、
30歳の時に大阪に出て米相場で巨万の富を手にするも、
34歳の時に相場で失敗し全財産をなくした。
カナダからアメリカを約3年かけて旅行、
46歳の頃別府に移り住みホテル経営を始める。
海外での経験を生かして奇抜なアイデアを実行、
美人バスガイドが案内する観光バスを作ったり、
湯布院を観光地として観光開発したりした。
73歳で死去したが、その意思は今も別府に息づいている。


画像 dd19548
撮影日時 2013/09/14 10:56:20

西口(山の手口)。


画像 dd19550
撮影日時 2013/09/14 10:58:55
画像は東口(海岸口)リニューアル前。


画像 dd02678
撮影時刻 2004/05/23 15:58:48




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