633.土佐くろしお鉄道後免町駅



土佐くろしお鉄道後免町駅は単式1面1線の高架ホームを有する土佐くろしお鉄道阿佐線の無人駅である。
土佐くろしお鉄道阿佐線はJR後免駅から奈半利までを結ぶ路線で、
“ごめん・なはり線”の愛称が付けられており、一般的には愛称が使用されている。
阿佐線の敷設されていた場所はかつて土佐電気鉄道安芸線が敷設されていたが、1970年頃から赤字が顕著なり、
1974年4月1日に廃止され国鉄に用地を売却、
改正鉄道敷設法別表第107号に掲げる予定線である高知県後免から安芸、徳島県日和佐を経て古庄付近に至る路線として敷設が検討された。
徳島県側は既にJR牟岐線、阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業しており、日本鉄道建設公団建設線が阿佐西線として建設することになった。
阿佐線(阿佐西線)は1965年から既に一部区間で工事が始まっており、土佐電気鉄道安芸線が廃止後に後免から安芸までの区間でも工事が始まった。
しかし1981年になって国鉄再建法によって建設が凍結され、工事中の高架橋などの放置されたままとなった。
1986年に既設の宿毛線と建設中の中村線を引き継いだ土佐くろしお鉄道が同じく建設中だった阿佐線も引き継いだ。
土佐くろしお鉄道は宿毛線と土讃線を結ぶ中村線の建設を優先したために阿佐線は後回しになり、
阿佐線の後免から奈半利の区間の建設が完成し、開業したのは2002年7月1日になってからだった。
国鉄阿佐線に転換することを目的に土佐電気鉄道阿佐線が廃止されたのは1974年であり、廃止から28年目にようやくの開業となった。
ごめん・なはり線は全区間非電化単線である。
後免町に初めて鉄道の駅が出来たのは1924年12月8日で、高知鉄道の後免町として開業した。
これが後の土佐電気鉄道安芸線となる。
1925年2月21日には現在の土佐電気鉄道御免線となる土佐電気による軌道線が敷設された。
開業当時の電停名が後免町駅前停留所だった。
1941年7月10日に土佐電気が高知鉄道と合併し、7月12日社名変更により土佐交通となる。
1948年6月3日に会社合併により土佐交通が土佐電気鉄道となる。
1974年4月1日に土佐電気鉄道阿佐線が廃止され、土佐電気鉄道御免線の電停が現在地に移される。
かつては路線に至る線路がアスファルトに埋めて残されていたが、ローソン開業当時に撤去された。
2002年7月1日に土佐くろしお鉄道阿佐線が開業し、2004年7月4日に“ありがとう駅”の愛称が付けられ、
やなせたかし氏による駅名表示板が設置された。
そこにはやなせ氏の直筆で以下のように書かれている。

  ごめん駅があれば
  ありがとう駅もほしい
  ごめん駅とごめん町駅では
  まぎらわしい
  ごめん町駅の愛称を
  ありがとう駅にすれば
  ひびきあう
  ふたさの美しい言葉
  ごめん ごめん
  ありがとう
  ありがとう
  ありがとう駅

     やなせたかし

“後免駅”の隣が“後免町駅”では紛らわしいと、やなせ氏の提案により以下のような愛称が決められた。
国土交通省に届けられている「後免町」の名称よりも愛称である「ありがとう」が大きく書かれている。
幼少期にこの付近で過ごしたやなせたかし氏はごめん・なはり線にも大きく関わっており、
駅名表示板や電車のデザインにもキャラクターが使われ、
また各駅にもオリジナルキャラクターをデザイン、そのモニュメントが設置されている。
後免町のキャラクターは“ごめんまちこさん”である。
また土佐電気鉄道後免町電停には土佐電気鉄道安芸線電化に際して記された、
当時の内閣総理大臣であった吉田茂の記念碑が設置されており、
それは英語と日本語の二カ国語で書かれており、日本語は以下のようになっている。

     安藝線電化開通記念碑

  多年宿望せる安藝線電化工事は昭和二十三年十一月工を起し本年
  七月工を完成した此の工事が斯くも急速に竣工したのは是れ全く
  高知民事部長アクマルソン中佐の懇切たる御援助の賜にして沿線
  住民の福祉?る多く日米両國修交の上にも亦経大の貢献を為した
  のは吾々の最も欣快とする所である慈に関係町村各學校生徒相諜
  り先生の功績を親して永遠に感謝感恩の誠意を表す
     昭和二十四年十一月三十日  関係町村學校生徒建立

     内閣総理大臣 吉田茂書


画像 dd03059
撮影時刻 2004/09/11 14:53:39

後免町駅のキャラクター“ごめんまちこさん”


画像 dd03061
撮影時刻 2004/09/11 14:55:02




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