658.近畿日本鉄道大阪阿部野橋駅



近畿日本鉄道大阪阿部野橋駅は頭端式6面5線の地上ホームを有する近鉄南大阪線の駅の起点のである。
ホームは櫛形に配置されており、線路の両側にホームがあって片側が降車専用となるように工夫されている。
1番線、2番線は各駅停車、3番線、4番線は急行、準急、5番線はラッシュ時の急行、区間急行、6番線は特急専用となっている。
正式な駅名は「大阪阿部野橋」であるが、駅ビルは「あべの橋駅」と書かれている。
近くにはJR大阪環状線天王寺駅もあるが、JRと民鉄とでは駅名が全く違う。
これは大阪という都市の特徴なのかも知れないが、キタの中心駅である大阪もJR(国鉄)では「大阪」であるが、阪急、阪神は「梅田」となっている。
近畿圏内ではJRと民鉄が国鉄時代から激烈な集客競争を繰り広げていたので対抗意識が違う駅名をつけさせたのだろう。
大阪市営地下鉄も1号・御堂筋線は「梅田」、2号・谷町線は「東梅田」、3号・四つ橋線は「西梅田」となっている。
3つの路線が乗り入れているので区別しやすいように東西の冠詞をつけているが、逆にそれでややこしくなっているような気がする。
あべの橋でもJRは「天王寺」、近鉄では「大阪阿部野橋」という別の駅名をつけている。
そしてそこに乗り入れている大阪市営地下鉄は「天王寺」と「阿倍野」のふたつの駅がある。
エリアが広いため、JR天王寺駅の地下には「天王寺」、阿倍野筋2丁目の地下には「阿倍野」の駅がある。
更にここで注目なのは地名や地下鉄駅名が「阿倍野」であるのに対し、近鉄は「大阪阿部野橋」という、
おなじ「あべの」という音でも「倍」と「部」と文字が違っている。
近鉄が何故地名と違う「部」の字を使ったのか正確なところは不明だが、一説によると近鉄の前身である大阪鉄道が大阪市に乗り入れる時、
大阪市の要請で「天王寺」ではなく「阿倍野」を名乗るように強要され、大阪市の強引なやり方に反感を抱きながらも、
乗り入れのためにやむを得ず「あへの」を名乗ったのだという。
しかし大阪鉄道は独自性を誇示するために社名の「大阪」をつけ、さらに「あべの」の表記も少し変えたという。
ここら辺がお上に屈しながらも信念を曲げない大阪人らしさが伺える。
1923年4月13日に大阪鉄道が大阪天王寺から布忍まで敷設した時同時に開業した。
開業時は「大阪天王寺」の駅名だったが、1924年6月に 「大阪阿部野橋駅」に改称された。
1937年11月には阿部野橋ターミナルビルが開業した。
戦時中の1943年2月1日に大阪鉄道を関西急行鉄道が合併、この時上本町より本社が移転した。
1944年6月1日には戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道となった。
1945年3月14日に大阪大空襲でターミナルビルの2階以上を焼失、戦後の同年12月から復旧工事を行った。
1948年4月に全館が復旧して営業を再開した。
1969年12月4日にあべの橋にあった近鉄本社の業務が終了、翌日から上本町に本社が移転した。


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撮影時刻 2004/10/03 14:55:34

近鉄あべの橋駅東口。
天王寺都ホテルの一角にある。


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撮影時刻 2004/10/03 15:11:32




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