659.JR関西本線天王寺駅



JR天王寺駅は地上の頭端式5面5線と線と掘り割り部分の島式4面7線のホームを有する関西本線の駅である。
地上部分は阪和線のホームと中央コンコースがあり、櫛形に5面5線が配置されていて、乗車専用ホームと降車専用ホーム分かれている。
掘り割り部分には4本のホーム7本の線路が接していて、12番線と13番線の間には線路が1本しかなく、7本の線路がホームと接している。
大阪環状線は11番線から14番線が使用、関西本線(大和路線)は15番線から18番線が使用している。
大和路線直通する大阪環状線とJR京都線は18番線を使用している。
1889年5月14日に大阪鉄道が後の関西本線の一部となる湊町(現・JR難波駅)から柏原まで敷設した時に同時に開業した。
1900年10月1日に関西鉄道が大阪鉄道の路線を継承、1907年10月1日には関西鉄道が国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定で関西本線の所属となる。
1929年7月18日に現在の阪和線となる阪和電気鉄道の阪和天王寺駅が開業、
1940年12月1日に阪和電気鉄道が南海鉄道合併、阪和電気鉄道の路線は南海山手線となり、阪和天王寺は南海天王寺改称される。
1944年5月1日に南海山手線が国有化され、阪和線となった。
駅名は近くに四天王寺があることから名付けられた。
四天王寺を建立したのは聖徳太子であり、その当時からこの地区は栄えていたことになる。
仏教に置ける世界観では、三界という概念があり、無色界、色界、俗界に分けられ、
その中で生死をくり返しながら輪廻すると考えられている。
その三界の輪廻転生から解脱できたのが仏陀だと考えられている。
無色界、色界と欲界の六欲天は“天”であり、欲界に四大州といわれる人、畜生、餓鬼が属し、
その下に八大地獄があると考えられている。
六欲天のうち一番下に四天王衆天があり、そこに住むのが四天王とされる。
四天王とは持国天、増長天、広目天、多聞天をいい、
古代インドの世界観で須弥の四洲という4つの大陸が存在したと考えられており、
持国天は東勝身洲を守護し、増長天は南瞻部洲を守護し、広目天は西牛貨洲を守護し、多聞天は北倶廬洲を守護すると考えられる。
多聞天は毘沙門天とも呼ばれる。
聖徳太子もこの四天王を信仰し、
587年(用明天皇2年)、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が武力衝突し、
蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河へ攻め込んだが、
物部守屋らはは稲城を築いては朴の上から矢を放って防戦し、蘇我軍は苦戦した。
この戦況を見て廐戸皇子(聖徳太子)は膠木で四天王の像をつくり、
戦勝を祈願してこの戦に勝利したら必ずや四天王を安置する寺塔を建てるという誓願をした。
その甲斐あって味方の矢が物部守屋に命中して木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。
その6年後、593年(推古天皇元年)に聖徳太子は摂津難波の荒陵に四天王寺の建立に取りかかった。
寺の建立には物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという。


画像 dd03287
撮影時刻 2004/10/03 14:55:34

JR天王寺駅南口。


画像 dd03288
撮影時刻 2004/10/03 14:56:29




REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2011