681.JR紀勢本線紀和駅



JR紀和駅は単式1面1線の高架ホームを有する紀勢本線の駅である。
かつては単式1面1線に加え、島式1面2線の計2面3線のホームを有していたが、1985年3月に島式ホームが廃止された。
紀和駅付近は駅周辺の踏切を廃止する目的で2008年10月に高架化され、現在は高架ホームとなっているが、
画像は地上ホーム時代の駅舎で、現在は存在しない。
地上駅舎はかつて有人駅であったため、2階建てで瓦屋根であるが、無人化されて2階の窓はガラスが外され、ベニヤ板が填められていた。
1階の待合室の切符売り場であったところもすべてベニヤ板で覆われていている。
かつては和歌山で初めての駅として誕生し、その県を代表するターミナル駅になるべくして生まれてきた駅だが、
時代に翻弄されて戦後の復興開発で見捨てられ、歴史に埋もれて無人駅となってしまった。
現在は105系2両編成が和歌山から和歌山市の間を往復しているだけで、近くに団地もあるが運転本数が少なく利用客も少ない。
1898年5月4日に紀和鉄道が船戸仮駅から当駅まで開通させたのに伴い、終着駅として開業した。
開業時は和歌山駅を名乗った。
1903年3月21日に和歌山市まで延伸される。
紀和鉄道は1904年8月27日に関西鉄道に合併、1907年10月1日には鉄道国有法によって関西鉄道は国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定により和歌山線の所属となる。
1924年2月28日には紀勢西線が和歌山(現・紀和)から分岐して東和歌山(現・和歌山)を経て箕島まで開業する。
1959年7月15日に紀勢本線が全通し、紀勢本線及び和歌山線の所属した。
1968年2月1日に和歌山から紀和に駅名を変更、同年3月1日に隣の東和歌山が和歌山に改称された。
結果的に利用客の実情に合わせて駅名を東和歌山に譲った形になる。
そのため、現在はJR紀勢本線和歌山駅が市をの中心の駅となり、また和歌山市駅も南海本線の終着駅となっており、
その二つの駅の中間で廃れて無人化されてしまった。
現在の和歌山市を代表する2つの駅のうち、先に出来たのは和歌山市駅で、1903年(明治36年)3月21日である。
それまでの南海電鉄は難波から大阪府阪南市の尾崎までを結んでいた。
南海は和歌山市からの要請に乗った形で尾崎から和歌山市まで延伸した。
それに対し、現在のJR和歌山駅が開業したのは1924年(大正13年)2月28日で、開業当時の駅名は東和歌山だった。
既に現在の紀和が和歌山を名乗っていたからである。
当時の和歌山(現・紀和)は紀和鉄道によって開業し、この紀和鉄道が和歌山市で初めて出来た鉄道でもあった。
この駅が本来ならば和歌山を代表する駅になる筈だった。
しかしこの和歌山駅は和歌山市の地元の商工会議所などに評判が悪く、
そのために南海電鉄に対して和歌山市駅までの延伸が要請されたのである。
それというのもこの駅は当時の市の中心部からは少し外れていたのである。
和歌山市駅開業と同時に紀和鉄道が和歌山駅から1.8km延伸して接続した。
この1.8kmのうち、和歌山市よりの1.0kmは南海電鉄が建設している。
それというのも南海鉄道は紀和鉄道を合併する予定で接続線を建設したのである。
しかしこの合併話は結局実現できず、紀和鉄道は1904年(明治37年)8月に関西鉄道に吸収されてしまう。
関西鉄道は現在の関西本線であり、和歌山線も関西本線の王寺駅から分岐している。
そして関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には国有化されてしまう。
紀和鉄道和歌山駅は国有鉄道の和歌山駅となった。
1919年(大正8年)には紀勢本線の建設が始まり、
終着の和歌山駅が紀勢線、和歌山線、南海電鉄のターミナルになる予定だった。
そして南海鉄道は国有化も計画された。
和歌山駅と大阪方面を結ぶ路線として白羽の矢が立ったのである。
しかし南海電鉄は国有化を頑なに拒否し、更に紀勢本線の建設が始まったこの年に、
阪和電気鉄道が天王寺−東和歌山の免許を申請したのである。
阪和電気鉄道は現在のJR阪和線の前身で、
この阪和電気鉄道は紀勢線への乗り入れを前提に免許を許可され、
終着が和歌山駅ではなく、紀勢線東和歌山となったのである。
この段階で和歌山駅は一大ターミナルの予定から外れてしまった。
阪和電気鉄道は1930年(昭和5年)6月16日に全線開業した。
日本はやがてアメリカに宣戦布告、太平洋戦争に突入していった。
この戦争が和歌山駅の運命を更に変えていった。
1945年(昭和20年)7月8日には和歌山市も大空襲を受け、
市の中心部の3分の2が焼失してしまった。
戦後の復興は東和歌山駅を中心に進められた。
東和歌山は戦前の市の中心部からは外れていたが、
国有鉄道のターミナルとなっているために復興の中心となった。
1968年2月1日には和歌山駅は「紀和駅」と名称を変更し、
その1ヶ月後の1968年3月1日には東和歌山駅が「和歌山駅」へと昇格した。
こうして和歌山市の中心駅になるべく生まれ、紀勢線の登場によって再び一大ターミナルとなるべく計画されたが、
その計画も南海電鉄の国有化拒否や戦争などが影響し、1972年(昭和47年)のダイヤ改正では全ての列車が和歌山駅発着となり、
和歌山−和歌山市間は単線のままの紀勢本線のオマケのような路線になってしまった。
現在では紀和駅は無人駅となり、時代から完全に取り残された駅となってしまったのである。
2006年2月10日に高架化工事が開始、仮設ホームの使用開始、
2008年10月4日に高架化工事が完成し、高架駅となった。


画像 dd03582
撮影時刻 2005/01/22 12:38:09



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