689.阪急電鉄宝塚駅



阪急電鉄宝塚駅は頭端式2面4線の高架ホームを有する阪急宝塚線の終着駅である。
また宝塚から今津までを結ぶ今津線も終着駅となっている。
基本的に1号線、2号線を今津線、3号線、4号線を宝塚本線が使用するが、一部は号線が変更される。
地上ホーム時代は今津線が1本、宝塚線が2本を使用する2綿3線構造だった。
駅名には副題が付加されており、現在は「宝塚(宝塚大劇場前)となっているが、以前は「宝塚(宝塚ファミリーランド前)だった。
JR福知山線宝塚駅とはロータリーを挟んで反対側に位置し、乗換駅となっている。
宝塚は阪急電鉄にとっても中核隣る駅のひとつであり、創始者の小林一三氏によって駅周辺が開発され、
遊園地の宝塚ファミリーランドや宝塚歌劇団などが造られ、旅客事業の旅客誘致に繋がった。
鉄道事業者が他の事業に参加して集客アップさせるというやり方は小林一三氏が最初といわれている。
駅から“花の道”と呼ばれる遊歩道を通り、その南側には宝塚歌劇団の本拠地である「宝塚大劇場」、浴場施設の「宝塚大温泉」があり、
その北側に遊園地と動物園を兼ね備えた「宝塚ファミリーランド」があった。
しかしUSJの開業やレジャーの多様化によって旧来の遊園地の集客力が落ち、2003年8月31日に営業を終了した。
跡地は再開発され、有料庭園「宝塚ガーデンフィールズ」や商業施設、住宅街などになっている。
そしてその入り口には小林一三先生像が建っている。
小林一三氏といえば阪急電鉄の創業者として、
明治の民間鉄道黎明期に根津嘉一郎氏、五島慶太氏とともに活躍した人物である。
銅像には以下のようなプレートがつけられていた。

 逸翁の多方面にわたる業績は天下に普きところ夙に當地に嘱目され
 明治四十年箕面有馬電気軌道株式会社を創立して開発に着手せられ
 独創的なる少女歌劇並に動植物園を設立し以て今日の殷盛を基礎つけられた。
 寔に本市産みの親とも言うべくここに宝塚市民は在りし日の温容を朝倉文夫先生に嘱し
 銅像を鋳て永久にその偉業を讃えんとするものである。

                     昭和三十二年十月十五日 除幕
                                            宝塚市長

小林一三氏は鉄道の新しいモデルを創った人物として評価できる。
宝塚歌劇団は今までにない新しい娯楽として多くの人を引きつけ、その聖地たる宝塚に多くの人を呼び込んでいる。
鉄道会社はそのターミナル駅に百貨店を作り、そこに人を呼ぼうとした。
その事で集客力が上がる。
しかし小林一三氏はもっと大胆な方法で、集客に取り組んだ。
「宝塚ファミリーランド」や「宝塚歌劇団」という新しい舞台を創ってそこに人を呼んだ。
阪急が近畿圏で随一の私鉄に成長したのも小林一三氏の先見の明があったからである。
1910年3月10日に箕面有馬電気軌道によって宝塚本線が開業した。
1921年9月2日に西宝線(現・今津線)が開業し、接続する。
1993年7月18日に今津線が高架化され、同年9月25日に宝塚本線も高架化され、高架駅化が完了した。


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撮影時刻 2005/01/23 10:26:24

阪急宝塚駅の花の道側の出入り口。


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撮影時刻 2005/01/23 10:34:04
宝塚歌劇の宝塚大劇場。


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撮影時刻 2005/01/23 10:40:35
花の道にある“小林一三像”。


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撮影時刻 2005/01/23 10:41:15
宝塚大劇場に併設される宝塚音楽学校。


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撮影時刻 2005/01/23 10:46:05




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