696.伊豆箱根鉄道三島駅



伊豆箱根鉄道駿豆線三島駅はJRの南口の左に、JRの駅舎とは独立して存在する。
伊豆箱根鉄道は西武鉄道グループの中小私鉄路線で、西武鉄道グループの礎を作った路線ともいえる。
西武鉄道は今は本線格は西武新宿線と西武池袋線だが、もともと現在の西武グループの中核となってる“コクド”は、
初代オーナーの堤康次郎氏が“箱根土地株式会社”という社名で箱根エリアの開発など不動産業で延びてきた会社なのである。
自社開発エリアにアクセスするために鉄道を施設し、それが現在の西武鉄道の原点となった。
余談だが、もともと「西武」を名乗っていたのは、
箱根土地株式会社とはライバル関係にあった帝国電灯系列の鉄道会社で、東村山−川越間を運行していた“川越鉄道”である。
この会社は甲武鉄道(現・JR中央本線の一部)から分岐して、東京−川越間の輸送を担っていた会社で、
現在の国分寺線と西武新宿線の一部に当たる路線を有していた。
この会社は池袋−川越間を施設した東上鉄道(現・東武東上線)の登場で集客力が低下し、
更に池袋−所沢−飯能間の路線を開業させた武蔵野鉄道の登場で更に窮地に追い込まれた。
武蔵水電という電力会社との合併を機に、東村山−高田馬場間を新規に施設して起死回生を測った。
武蔵水電の祖である川越電気鉄道や西武軌道の軌道線も傘下に治め、武蔵野鉄道との集客合戦に挑んだのである。
川越鉄道は合併を機に西武鉄道を名乗った。
川越鉄道=西武鉄道が現在の西武新宿線、武蔵野鉄道が現在の西武池袋線に当たる。
この2社の対立に参戦してきたのが堤康次郎氏が率いる箱根土地の系列会社の多摩湖鉄道(現・西武多摩湖線)である。
人工貯水池である多摩湖、狭山湖は、昭和初期に新しい観光地として注目を浴びた。
多摩湖鉄道はこれに目をつけて施設された。
しかしここに目をつけたのは多摩湖鉄道だけではなかった。
武蔵野鉄道、旧・西武鉄道も路線を延ばして集客に努め、三つ巴の争いとなった。
現在の西武狭山線が武蔵野鉄道、西武園線が旧・西武鉄道の施設である。
多摩湖鉄道は国分寺から分岐する路線で、ライバル2社と違って東京に直通していない。
そこで堤康次郎氏は武蔵野鉄道を乗っ取り、多摩湖鉄道を合併させ、
更に東武鉄道の根津嘉一郎氏が取締役に就任している旧・西武鉄道をも狙いをつけた。
東武グループの持っていた旧・西武鉄道の株を武蔵野鉄道に譲り受け、
旧・西武鉄道と武蔵野鉄道は合併し「西武農業鉄道」が誕生する。
旧・西武鉄道の株が何故武蔵野鉄道に譲渡されたのかは日本鉄道史でも謎だが、
もしかしたら西武新宿線は東武鉄道新宿線になっていたのかも知れない。
こうしてライバル3社を合併で手中に収めた堤康次郎氏は、社名だけはライバル会社の「西武」を残した。
これが現在ではグループの社名になっているのである。
名を捨てて実を取ったというところだろうか。
在るには合併された側の社員の意欲をそぐことのないようにという配慮からだろうか。
「西武」を名乗ったものの、存続会社は武蔵野鉄道である。
因みに「西武農業鉄道」の社名になったのは同時に“食糧増産”という、
営団農場経営会社を同時に合併させたためである。
後に社名を「西武鉄道」に改め、現在に至っている。
伊豆・箱根エリアにとって西武は小田急と並んで積極的に開発してきた会社であり、
伊豆箱根鉄道は伊豆急行とともに、西武鉄道グループの伊豆・箱根エリアのリゾート開発を支えている鉄道である。


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撮影時刻 2005/03/05 08:21:35



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