711.JR東北本線新白河駅
JR新白河駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有する東北本線の駅であり、東北新幹線のホームも有する。
東北新幹線は相対式2面2線の高架ホームで、
中央に2本の通過線が設置されている最速達タイプの列車が停止しない一般的な新幹線ホームの形式である。
かつては三菱製紙白河工場への専用線も設置されていて、貨物扱いのある駅でだったが、現在は貨物扱いの設備はない。
駅自体西郷村に存在するが、西郷村と白河市の境界線近くに位置していて、新幹線ホームの一部は白河市にかかっている。
画像は駅東口(正面口)で、西口の付属画像は改良前のものである。
戦時中の1944年10月11日に東北本線磐城西郷信号場として解説され、同年11月16日には貨物専用線も設置された。
1959年4月7日に駅に昇格、その当時の駅名は“岩城西郷”だった。
1982年6月23日に東北新幹線が開業、それと同時に“新白河”に改名された。
駅前にはロータリークラブによって設置された松尾芭蕉像があり、
そこには次の句が書かれている。
心ともなき日数重るまヽに
白河の関にかヽりて旅心定りぬ
芭蕉 奥の細道
更に側面にはこの句の英訳と思われる次の英文が書かれている。
It was not until we finally
reached the checkpoint, or
barrier, at Shirakawa that we
felt we were really on our
way at last.
OKUNO HOSOMICHI 1689
Translated by Dorothy Britton
この文を「コリャ英和!一発翻訳バイリンガル」で訳したところ、
「我々が我々がついに本当に途中であったと感じたのは
我々が白川に最終的にチェックポイント、あるいは障壁に着いた時初めてでした。
OKUNO HOSOMICHI 1689。
ドロシー Britton によって翻訳されました。」となった。
新白河駅の由来について駅には次のような文章が掲げられている。
「新白河駅」は、昭和三十四年七月に磐城西郷駅として誕生し、
東北新幹線開業の昭和五十七年六月二十三日から現在の名称になる。
城下町白河の西の郷にあって親しまれてきた磐城西郷駅は、
新幹線の建設が進むにつれ「新幹線の停まる、新しい白河駅」へと変貌してきたが、
昭和五十五年十二月の新駅舎完成を期に「仮称新白河駅」が定着した。
奥州の玄関といわれた白河地方も、
今や東京方面、仙台方面への通勤圏としてゆるぎない発展を続けている。
なお、二・八キロ北にある白河駅は明治二十年七月十六日に開業し
県南随一の交通の要所として栄えた。
現在も「城下町白河」は古い伝統と香り豊かな歴史と文化の町でもある。
白河の地名は、古関跡の下を流れる「白川」という小川に由来する説と
アイヌ語の「シラガー(自分の陣地)」が訛ったとの二説がある。
画像 dd03832
撮影時刻 2005/03/12 09:48:20
JR新白河駅西口(高原口)。 画像 dd03834 撮影時刻 2005/03/12 09:54:12 |
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