713.JR東北本線岩切駅



JR岩切駅は島式2面4線の地上ホームを有する東北本線の駅である。
島式ホームのために駅舎からは地下通路が通じている。
岩切から利府まで東北本線の支線が分岐しており、利府線などと呼ばれている。
東北本線は1894年開業当時は岩切から利府を経由して松島に至る線形だった。
1944年に陸前山王経由の所謂“海線”が開業し、利府経由の路線は“山線”と呼ばれるようになった。
その後1962年には海線が東北本線の主線となり、山線は廃止された。
しかし人口の多い利府までを支線として残したのである。
穿った見方をすれば新幹線の車両基地の通勤路線を確保したとも云える。
郡山から仙台、そして後の塩釜線となる塩竈までが開通したのは1887年12月15日だが、
海線の分岐となる岩切駅が開業したのは翌年の1888年10月11日である。
開業当時の地名が岩切村だったために岩切の駅名がついた。
1890年4月16日、岩切から後の山線(利府支線)となる延伸が一ノ関まで敷設される。
1906年11月1日に日本鉄道は国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で上野から岩切を経由して青森まで至る路線を東北本線、
岩切から分岐して塩竈まで至る路線を塩釜線とすることになった。
戦時中の1944年11月15日に陸前山王から品井沼まだの海岸ルート線、通称海線が開業し、
岩切から陸前山王までを東北本線に編入した。
岩切駅の構内には由来が次のように書かれている。

 昭和三十年(一九五五)、川内市木ノ下にある陸奥国分寺跡の発掘調査の際、
 寺院の土台として使用されていた岩を調査したところ、
 岩切・入山地区産の岩と同質であることが分かりました。
 入山地区は、現在「県民の森」となっている高森山の、南東の山麓一帯のことで、
 陸奥国分寺の礎石はここから切り出され、運ばれたのだろうと推測されています。
 入山地区には、今も赤い岩盤が随所に露出していて、
 岩を切った痕跡が、赤地の岩肌に直角な形状で残されています。
 そして、その切り場の平坦な部分には人家が建ち並んでいます。
 陸奥国分寺の岩を切り出した地ということが、
 当地名の発祥の由来となったというのが通説になっています。

 この地名の由来を受けて、明治二十年(一八八七)十二月
 十五日、東北本線の岩切駅として開業しました。


画像 dd03849
撮影時刻 2005/03/12 14:28:53



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