714.JR東北本線一ノ関駅



JR一ノ関駅は東北本線の駅であり、また東北新幹線のホームも設置されている。
また大船渡線の起点ともなっている。
大船渡線は一ノ関から 盛駅までを結ぶ105.7kmの非電化単線であり、
気仙沼駅でJR気仙沼線、盛駅で三陸鉄道南リアス線と接続している。
路線が大きく蛇行している様子から「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付けられている。
一ノ関駅は1890年4月16日、日本鉄道が岩切から一ノ関まで延伸したのど同時に開業した。
尚、この路線は現在の東北本線とは別のルートであり、一般的に“山線”と呼ばれている。
後に短絡ルートが開設され、山線は廃止されたが、岩切−利府間は残され、“利府支線”などと呼ばれている。
1906年11月1日に日本鉄道は国有化され、1909年10月12日に線路名称制定で東北本線の所属駅となる。
1925年7月16日には大船渡線が摺沢までが部分開業した。
1982年6月23日に東北新幹線が大宮-盛岡で部分開業した。
一ノ関駅は画像の西口が表玄関として機能していて、そこには「大槻三賢人」の銅像が建っている。
大槻三代の胸像が建っており、以下のような解説文がついていた。

  大槻三代

 大槻玄沢(げんたく 一七五七−一八二七)正面像
  一ノ関藩医大槻玄梁の子、今の一関市中里に生まれる。
  号は磐水、我が国蘭学の先駆者であり、
  杉田玄白、前野良沢の教えを受け蘭学を開花せしめた。
  「蘭学階梯」「重訂解体新書」を著した。
 大槻盤渓(ばんけい 一八〇一−一八七八)左像
  大槻玄沢の次男、儒学者で幕末にあって開国論を主張し、
  日本の進路を予見した。
  「孟子約解」「近古史談」「献芹微喪」を著し、
  佐久間象山、福沢諭吉等にも親交があった。
 大月文彦(ふみひこ 一八四七−一九二八)右像
  大槻盤渓の三男、国語学者、史伝家、
  我が国初めての国語辞書「言海」を著し日本の近代化に大きく貢献した。
  「広日本文典」等時折中里でも執筆。「大言海」編纂中に逝く。
          建立 社団法人 一関青年会議所

東口は駅というよりは「東口交流センター」となっており、
公民館や観光館的な役割を果たしている。
市の名前は「一関市」と表記するが、駅名では「一ノ関駅」となる。


画像 dd03858
撮影時刻 2005/03/12 16:41:13

駅前の大槻三賢人像。


画像 dd03859
撮影時刻 2005/03/12 16:42:05




REI RINGONO Station
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2012