717.JR上越線土合駅



JR土合駅は単式1面1線の地上ホームと単式1面1線の地下ホームを有する上越線の無人駅である。
上り線はループ線を通過して地上に設置されたホームに至るのに対し、下り線は後に掘削された新清水トンネルの中に設置されている。
そのため地下ホームから地上ホームや駅舎に出るためには81mの高低差を階段で移動しなければならず、
462段、長さに換算して338mの階段を上ることとなる。
谷川岳へ登山客の利用も多く、徒歩約20分の距離に谷川岳ロープウェイ土合口駅があり、天神平駅まで結んでいる。
また地上への高低差から“日本一のモグラ駅”としても有名である。
1931年9月1日に上越線が水上から越後湯沢まで開通した時に信号所として解説され、翌年12月17日にスキーシーズンのみ旅客扱いを開始した。
この当時は山岳地帯をループ線で乗り越える線形で、地上ホームが設置された。
1936年12月19日に駅に昇格している。
1967年9月28日に新清水トンネル開通し、湯桧曽から土合間が複線化され、トンネル内の地下ホームが運用開始された。
上越線の谷川岳越えは始め単線で計画された。
その当時としてはそれ程長いトンネルを造る技術力もなく、
極力短いトンネルでこの峠を越えるためにループ線が用いられた。
ループ線とは高低差を輪のような線形を描いて登ることで、
車のように車長が短ければいろは坂のような九十九折りでも大丈夫だが、
電車のように長い車体ではカーブの半径が限られてくるので輪を描くしかない。
戦後に複線化する時は技術力も向上しトンネルで一気にこれを越えた。
そのため土合駅は新清水トンネルの中になってしまった。
階段の下には「ようこそ『日本一のモグラ駅』へ」と書かれた看板があり、
以下のように書かれている。

 この階段は、338メートル462段あります。
 階段を上り、143メートル(階段24段)の連絡通路を経て、改札口となります。
 また、この下りホームは標高は海抜583メートル、
 駅舎の標高は、653.7メートルあり、
 駅舎と下りホームの標高差は70.7メートルあります。
 改札口までの所要時間は、約10分要します。

階段の左端に10段ずつの段数が書き込んであり、
中間まで来ると「ここが階段のまん中です」と書き込んであった。
また中間地点にはベンチまである。
写真を撮りながら10分くらいかけて地上に出る。
地上に出てトンネルから地上駅舎と上り線ホームに渡る廊下に出た時、
「ようこそ土合駅へ JR高崎支社」と書かれていた。
この廊下を渡って改札口に向かうところにまた以下のように書かれていた。

 お疲れ様でした。
 (階段数462段)
 改札出口まで後143メートル
 階段2ヵ所で24段です。
 がんばって下さい。 JR土合駅

ご丁寧に“がんばって下さい。”には付点まで振ってある。
土合駅はかつては有人駅で駅には改札が設置されていて、
今はカーテンが閉めっぱなしになっているが切符売り場まである。
窓口上には今も運賃表があるが、勿論今は無人で切符の販売はない。
待合室には3つの清水トンネルの歴史について書かれている張り紙がある。
たぶん職員の手書きなのだろう。

「3本の清水トンネルの歴史

○清水トンネル

・上越線を東京と新潟を結ぶ幹線と定め、こう配を1000分の10、最小曲線を400mとして検討したところ、
上越国境を横断するには、約20kmのトンネルが必要になるので、このような長大なトンネルは、
経済上からも技術上からも疑問が出ました。
そこで特に山間部の最急こう配を1000分の20に改めて、現清水トンネルの方針が決まりました。
・大正8年6月より実測を開始しましたが、上越国境茂倉岳付近は険しい山々は積雪も多く、
更に頂上付近の測量は、雲や霧が間断なくおそい、夏季の数ヶ月間しか測量できないため、
中心線の実測には約3年もかかり、清水トンネルの両坑口が決まりました。
・清水トンネルは、群馬県水上町土合に抗門を設け、茂倉岳を直線に貫通して、
新潟県湯沢町土樽に出口を求めた延長9702m33cmの長大トンネルで、この全長を二分し、
群馬県の4761m65cmを東京建設事務所、新潟側の4940m68cmを長岡建設事務所の所轄として工事が施工されました。
大正11年8月18日にまず土合口でさいしょのひと鍬が入れられ、
ついで大正12年10月6日、土樽口が着工し、以来その完成までには、9年4ヶ月の歳月がかかりました。
・工事は、大湧水と岩ハネとの戦いで苦難の連続でした。犠牲者も土合口で18名、土樽口で26にも上り、
上越線建設の上で最大の難工事であったことは言うまでもありません。工事に働いた延人数は、
291万1444名であり、総工費は1172万5320円90銭3厘で、現在の金額で約50億円となっています。

○新清水トンネル

・新清水トンネルは湯桧曽、土樽間にあって上越国境の谷川岳連峰、一の倉岳、茂倉岳の直下を通り、
旧清水トンネルと平面的にほぼ平行して土樽に至り、延長13500m50cmの長大トンネルです。
工事は昭和38年9月20日に着工し、昭和42年10月完成するなど、
旧清水トンネルと比較すれば長さで1.4倍、工期は半分以下でした。
尚、総工費は59億円、延べ使用人数は、160万人といわれています。
・トンネル工事は、岩ハネや毎分31トンという大湧水にみまわれ、作業速度は著しく低下しました。
岩ハネ現象は、世界でも珍しく、日本では新旧及び大清水トンネル以外では生じていません。
尚、「岩ハネ」現象とは、亀裂の少ない堅固な岩バンに生じ、特に側壁部に著しく、
数cmから数cm角の岩片が異音を発して小片はハネ飛び、大きいものは、ハクリ落下する現象です。
・トンネル内に湯桧曽と土合の駅があり、国鉄初めての地中駅です。
トンネル内の土合駅は地上にある上り線と約400m離れ、82mの高低差があり、ホームから地上までの階段は、
将来エスカレーターを設ける余裕を残して、4m幅、486段あります。
・トンネル工事中、湯桧曽入口から入って230m付近で52度の温泉が湧出ましたが、
地元温泉権者や利用者からの苦情があり、湧水箇所にセメントや薬剤を注入して止水しました。
又、既設の温泉源の減少、又は枯渇に備えて分湯、給湯できるよう地下道入口までパイプで引湯してあります。
・軌道は、ポイントの箇所以外はすべてすべてコンクリート直結道床として、800mロングレールが使用されています。
又、枕木は、23514本が施設され、ちなみに旧清水トンネルは15705本となっています。

○大清水トンネル

・上越新幹線約270kmの内、トンネルは全部で22ヵ所、延長にして106.7kmあり、全体の40%を占めています。
トンネルは、関東と新潟の分水嶺で急峻な上越国境を中心に群れています。
このトンネルは、将来時速260kmの高速運転に耐えられるよう、最小曲線半径4000m、
最急こう配を1000分の15以下という、きびしい建設基準上の制約を受けています。
・大清水トンネルの掘削は、昭和47年6月に6工区に分割された各斜抗、横坑から着工し、
昭和55年5月に工期8年5ヶ月、総工費470億円で完成しました。
新清水トンネルに比べて工期3分の1、工費2分の1となっています。
大清水トンネルの完成は昭和57年11月に、上越新幹線を開通させ、
太平洋側と日本海側のキョリを飛躍的に短縮させました。大清水トンネルは、新幹線で8分30秒で通過します。
・大清水トンネルを掘り抜いた上越国境は昔から交通の難所であり、これを解消するため、
大正時代着工の清水トンネルを始めとして、新清水トンネル、大清水トンネル等の鉄道トンネルと、
関越自動車道の関越トンネルが集中しています。
これらの中で、大清水トンネルは延長22221mと最も長く、最も深いトンネルであり、
他のトンネルと5ヵ所で交差しています。
・建設工事は、谷川岳直下の最も深い所を掘ったため、岩ハネ現象が多く発生しました。
特に深さ800mから1100mの区間に最も多く発生し、大きいもので厚さ15cmで、
2m四方程度の岩片が突然ハネてくるもので、工事は難航し、岩にロックボルトを打ちつけ、
金網を二重に張ることによって、坑内作業の安全を確保しました。

                                  土合駅より」


画像 dd04013
撮影時刻 2005/03/20 14:58:29

JR土合駅下りホーム。
下りホームは地下トンネル内に設置されている。

画像 dd03993
撮影時刻 2005/03/20 14:09:40
地下ホームから地上への階段。


画像 dd03997
撮影時刻 2005/03/20 14:17:44




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