722.JR内房線姉ヶ崎駅



JR姉ヶ崎駅は島式2面4線の地上ホームを有する内房線の駅である。
1989年5月29日に橋上駅舎化され、画像は東口である。
1912年3月28日に木更津線が蘇我から姉ヶ崎まで開業した時に同時に終着駅として開業した。
内房線は開業時には“木更津線”の名称で開業、那古船形から安房北条まで延伸した時に“北条線”に改称された。
“安房北条”は現在の館山駅のことである。
1925年7月11日に安房鴨川まで延伸開業、北条線は全通する。
1929年4月15日に現在の外房線に当たる房総線が安房鴨川まで延伸し、房総半島を周回する路線が全通した。
この時に北条線を房総線に編入する形で、周回路線は房総線に統一された。
しかし1933年4月1日に房総線が安房鴨川で房総東線と房総西線に再び分離され、
1972年7月1日に房総西線を内房線、房総東線を外房線と改称して現在に至る。
駅名は“姉ヶ崎”であるが、この付近の地名は“千葉県市原市姉崎”である。
姉ヶ崎駅東口から約800m、徒歩約15分の距離にある姉崎神社がこの付近の地名に由来だが、
姉崎神社は風の神である“支那斗弁命”を主祭神とする。
創建は景行天皇40年(西暦110年)とされる。
支那斗弁命(しつなひこのみこと)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)から生まれた風の神である。
古事記、日本書紀などによれば、景行40年に日本武尊(やまとたけるのみこと)一行が東方征伐のために走水から上総に船で移動する際に暴風雨に巻き込まれ、
弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が自ら海に入り、天神に自らを捧げたことにより風は凪ぎ、一行は上総にたどり着けた。
この時に弟橘姫の亡骸がたどり着いた地がこの姉ヶ崎であったという。
日本武尊が33歳、弟橘姫命が39歳であり、日本武尊一行よりも先にたどり着いたため、
「姉が先」にたどり着いたことから「姉ヶ崎」の地名になったという。


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撮影時刻 2007/02/24 09:25:23

JR4姉ヶ崎東口全景。


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撮影時刻 2005/05/28 08:21:24
JR姉ヶ崎駅西口。


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撮影時刻 2005/05/28 08:13:37




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