757.JR奥羽本線横手駅




JR横手駅は単式2面2線と島式1面2線の、
計3面4線の地上ホームを有する奥羽本線の駅である。
相対式2面2線の間に島式ホームがあるとも云える。
奥羽本線のほか、北上線も終点として接続している。
単式ホームの1番線は北上線が使用、北上方面からの列車が折り返す。
島式ホームは2番線、3番線に付番され、
2番線は奥羽本線上り、3番線は奥羽本線下りが使用する。
4番線は原則として臨時列車が使用する。
画像は東口で、橋上駅舎化されている。
奥羽本線は福島から東北地方の山間部を縦貫し、青森に至る路線として、
官設鉄道として敷設された路線で、青森側からは奥羽北線、
福島側からは奥羽南線として敷設された。
奥羽北線は1894年12月1日に青森から弘前までが部分開業し、
1895年10月21日に碇ヶ関、1899年6月21日に白沢、
同年11月15日に大館、1900年10月7日に鷹ノ巣、
1901年11月1日に能代(現・東能代)、
1902年8月1日には五城目、同年10月21日には秋田まで延伸された。
1903年10月1日には和田、1904年8月21日には神宮寺、
同年12月21日には大曲、1905年6月15日には横手まで延伸した。
一方、奥羽南線は1899年5月15日に福島から米沢の区間が開業、
1900年4月21日に赤湯、
1901年2月15日に上ノ山(現・かみのやま温泉)、
同年4月11日には山形、同年8月23日には楯岡、
同年10月21日には大石田、1902年7月21日舟形、
1903年6月11日に新庄、1904年10月21日に院内、
1905年7月5日に湯沢、同年9月14日に湯沢から横手まで延伸、全通した。
横手駅4番線は1971年4月20日に廃線となった、
羽後交通横荘線のホームがそのまま利用されている。
羽後交通横荘線は横手と現在の由利本庄市にあった老方を結んでいた鉄道路線で、
この一部は鉄道省に譲渡され、国鉄矢島線から現在では由利高原鉄道鳥海山ろく線となっている。
構内に「JR北上線終着駅」という看板が立っており、
そこには「大正13年11月15日横黒線開通」と「61km033m」と書かれている。
大正13年は1924年で、北上線は横黒軽便線として、
黒沢尻(現・北上)から東横黒軽便線が1921年より施設され、
横手より西横黒軽便線が1920年より施設されていき、
1924年11月15日に全通したのである。
1954年3月25日に黒沢尻が北上に改称され、
遅れて1966年10月20日には路線名も北上線になった。
横手駅が橋上駅舎化されたのは2011年9月26日である。
旧駅舎の駅待合室に掲げられていた「駅名の由来」には以下のように書かれていた。

 横手市は、東に奥羽山脈、西に出羽山地、中央に雄物川が流れる横手盆地の東角にあります。
 かつてこの地域では、雄物川の水運を要路として、交通経済が発達していました。
 『横手』とはこの水運幹線から横手に入った旭川(横手川)の河港という説。
 また一説には、小野寺城代家老が、平城に横手三郎という家老をおき、
 この名にちなんで名づけられたともいわれています。

横手駅周辺は“焼きそば”が有名らしく、
駅には「横手駅周辺焼きそばマップ」というガリ版刷りが置かれていて、
そこには「横手駅から徒歩5分以内で行けるお店です」という8件が紹介されていた。
横手市産業経済部商業観光課焼きそば担当の取材で、
「横手焼きそばの主な特徴」として、

 全体的に薄めの焼き色で、焼きそば自体に汁気があり、しんなりしています。
 キャベツ、豚ひき肉などを使い目玉焼きをのせます。
 福神漬けが添えられている場合が多いです。

と書かれている。


画像 dd26167
撮影日時 2020/09/21 11:57:47

JR横手駅西口。


画像 dd26171
撮影日時 2020/09/21 12:07:05
JR横手駅旧駅舎。


画像 dd04285
撮影時刻 2005/09/18 11:05:56




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