765.津軽鉄道津軽五所川原駅
津軽鉄道津軽五所川原駅は単式1面1線の地上ホームを有する津軽鉄道線の駅である。
開業当時は国鉄と駅舎を共有していたが、1956年7月10日に駅舎を独立させた。
しかしかつて駅舎を共有していた名残からホームは3番線が付番されており、現在も跨線橋は共有している。
ホームの乗り場と反対側には五所川原機関区があり、ストーブ列車などに使用される客車やディーゼル機関車が留置されている。
津軽鉄道はもともと川部から五所川原までを敷設した陸奥鉄道の出資者達が、
五所川原線に買収された時に得た資金で新たに設立した会社で、1928年2月24日に設立された。
1930年7月15日に五所川原(現・津軽五所川原)から金木までが開通、同年11月13日には中里(現・津軽中里)まで全通した。
津軽地方は太宰治氏の出身地であり、小説「津軽」には上野駅で津軽鉄道の切符を買おうとして苦労したというエピソードがあり、
その部分を原文のまま紹介した文がホームに掲げられている。
金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、
そんな駅は無いと言はれ憤然として、 津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言ひ、
駅員に三十分も調べさせ、たうとう芦野公園の切符をせしめたといふ昔の逸事を思ひ出し、
窓から首を出してその小さい駅を見ると、
いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、
大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥へたまま改札口に走つて来て、
眼を軽くつぶつて改札の美少年の駅員に顔をそつと差し出し、美少年も心得て、
その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、
まるで熟練の歯科医が前歯を抜くやうな手つきで、
器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちつとも笑はぬ。
当り前の事のやうに平然としてゐる。
少女が汽車に乗つたとたんに、ごとんと発車だ。
まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つてゐたやうに思はれた。
こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違ひない。
金木町長は、こんどまた上野駅で、もつと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思つた。
画像 dd04326
撮影時刻 2005/09/19 08:10:44
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