785.JR吉備線吉備津駅



JR吉備津駅は相対式2面2線の地上ホームを有する吉備津線の無人駅である。
駅舎と反対の上り方面には構内踏切で連絡している。
1904年11月15日に中国鉄道が吉備津線を敷設するのと同時に開業した。
戦時中の1944年6月1日には中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備津線の所属となる。
吉備津駅から徒歩約10分の距離に駅名の由来ともなった“吉備津神社”がある。
吉備津神社は第七代孝霊天皇の皇子の吉備津彦命を祀っている。
吉備津彦命は桃太郎のモデルになったとされる。
日本書紀によれば北陸、東海、西道、丹波を平定した四道将軍のひとりとされ、
吉備津彦命は山陽道に派遣され、吉備を平定していった。
四道将軍は他に大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、
丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)がいる。
吉備津彦命は第7代孝霊天皇と倭国香媛の間に、
大和黒田盧戸宮(現・奈良県磯城郡田原本町)で生まれた。
四道将軍として稚武彦命と共に山陽道に沿って吉備国を制圧していった。
この事が吉備津神社に伝わる言い伝えでは、
地元を荒らしていた鬼ノ城に住む温羅(うら)を、
犬飼健、楽々森彦、留玉臣という三人の家来と共に打ち破り、
温羅の祟りを鎮めるためにその首を神社の釜の下に封じたとされている。
吉備津神社では温羅の首を封じたという釜で吉兆を占う鳴釜神事というのがある。
神官とこの神事に使える阿曽女(あぞめ)という女性が、
釜に水を張り、湯を沸かして釜の上のセイロに器に入れた玄米を振ると、
鬼のうなるような音が鳴ってその音の大小で占うというものだそうである。
阿曽女(あぞめ)とは生前、温羅が寵愛した女性とされ、
鬼ノ城の麓に阿曽の郷があり、代々この郷の娘が奉仕しているのだという。
鬼ノ城に住む温羅を退治する時に随行した3人の家来、犬飼健、楽々森彦、留玉臣。
このエピソードが“桃太郎”の原型になったのだろう。
「犬飼健(いぬかいたける)」から“犬”は容易に連想できるし、
「楽々森彦(ささもりひこ)」の“ささ”から“さる”が連想され、
「留玉臣(とめたまおみ)」は“鳥取部(ととりべ)”という部族の長であり、
弓矢を使って鳥類を狩猟する部族であったことから“雉”が連想されたのであろう。
鬼ノ城に住む“温羅”は一説には百済人となっているが、
或いはもっと南方系の人種かもしれないと思う。
いずれにしろ、当時の日本人が自分たちとは明らかに人種が違う種族を見て、
そこから“鬼”を連想したのは容易に推測できる。
この吉備津神社は独創的な造りから吉備津造りなどと呼ばれ、国宝に指定されている。
吉備津彦命は倭武命などと並び、国造りに貢献した神であり、
皇族にとっては崇拝すべき対象なのだろう、こんな無人駅にもかかわらず、
「明治天皇御駐車跡」とか「攝政宮殿下御駐車跡」などという石碑も建っていた。


画像 dd04781
撮影時刻 2006/01/21 11:56:49

駅名の由来となった吉備津神社。


画像 撮影時刻 2006/01/21 11:35:28




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