819.JR石北本線網走駅




JR網走駅は単式1面1線と島式1面2線の地上ホームを有する石北本線の有人駅であり、また釧網本線も接続する。
各番線は石北本線、釧網本線の両方に使用されており、番線での路線区分はない。
駅名表記が縦書きになっているのは“網走刑務所から出所してくる受刑者がもう二度と横道に反れないように”という意味が込められている。
網走駅は1912年10月5日に網走線(のちの網走本線)の終着駅として開業したが、現在よりは東側の網走市南3条西3丁目付近にあった。
1924年11月15日に網走本線は北浜まで延伸し、途中駅となった。
1931年9月20日に網走から札弦(さっつる)までが釧網線に編入され、網走本線と釧網線の境界駅となる。
1932年12月1日に現在の位置に網走駅が設置、それまでの初代網走駅は“浜網走”と改称された。
1935年10月10日には湧網東線が網走から卯原内まで部分開業した。
湧網線は網走から敷設が開始された湧網東線と中湧別から敷設された湧網東線が1953年10月22日に全通した地方交通線で、
中湧別で廃止された名寄本線と接続していたが、国鉄分割民営化直前の1987年3月20日に廃止されている。
1961年4月1日には網走本線北見から網走、浜網走間が石北本線の一部となり、
所属も網走本線から石北本線に変更となった。
現在の駅舎となったのは1977年12月12日である。
駅前には「モヨロ人漁場の像」があり、以下のように書かれている。

   モヨロ人漁場の像

 6〜10世紀頃、サハリンなどの北方からオホーツク沿線に渡来
 してきた「オホーツク文化」の人びと。網走市最寄(モヨロ)
 貝塚はその代表的な集落跡です。彼らはクジラやトド、アザラシ
 などを主な生活の糧とする古来の優れた海洋狩猟民でした。

また網走駅の駅名看板が縦書きになっている件について以下のように書かれている。

   網走駅の駅名看板と網走刑務所

 この網走駅の桂板で作られた駅名看板は、横書きの駅名表示が多いなかで
 縦書きの看板となっています。旧国鉄時代には、網走刑務所で刑を終えた
 元受刑者のほとんどが、この網走駅から列車に乗車して故郷などに向かって
 行きました。その網走の街を去る際、「この縦書き看板のように、横道に
 それることなく、まっすぐに歩んで生きて行って欲しい。」との願いが込
 められて縦書きになっていると伝えられています。
  これは、厳しい中にも豊かな幸をもたらしてくれるオホーツクの海に
 沿って生きる、おおらかで人情味あふれる網走市民の暖かな気持ちに支え
 られ、網走の市民とともに網走刑務所が歩んできた歴史を物語っている
 のです。

  平成15年10月5日
                  網走刑務所長 記

また駅構内の名所案内には以下のように書かれている。

   名所案内

 網走国定公園(周遊指定地)、
 網走湖 周囲43km 南西5km バス7分、
 能取湖 北15km バス50分、
 さんご草群落 能取湖畔 9月中旬 北西13km バス17分、
 オホーツク海の流氷 2月〜3月 北東5km バス15分、
 天都山流氷館 国指定名勝地 南西5km バス車7分、
 北方民族博物館 南西5km 車7分、
 郷土博物館 東2km 車5分、
 モヨロ貝塚 北東2km 車5分、
 博物館網走監獄 南西4km 車6分。


画像 dd06226
撮影時刻 2006/07/21 09:47:39



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